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令和源氏物語 宇治の恋華 第六十話

 第六十話 恋車(二十二)
 
宇治の薄野原が金色に染まる頃、八の宮さまの一周忌の法要が立派に執り行われました。
施主はあくまで大君と中君、薫は主人らしく振る舞うのは姫君たちにとっても外聞が悪かろうと内裏にて密かに宮のご冥福を祈っておりました。
この日を無事に終えられれば喪も明け、大君も結婚に前向きになってくださるであろうと密かに期待している薫です。
先日の手紙の返事は女房の代返でしたが、きっとそうした喪中のこととて憚られたのだ、と意にも返さぬのはすでに大君は我が妻となる人と決めているからでしょうか。
ともあれ早く恋しい人に再びお逢いしたいと願う薫は法要を終えたご挨拶にも伺わねばと心は躍り宇治へ飛ぶのです。
そうして月が変わるのも待てずに宇治へと赴きました。
宇治の姫君たちはあれ以来薫君のことをあえて話題にせぬよう努めて、どことのう隔てを置いているようにしっくりしないでいるのに当の本人がお越しとはなんと皮肉なことか。
女房たちの期待に満ちたような目も煩わしく、大君は体調不良を口実に対面されようとはしません。
今日こそは大君の心も解けると信じて疑わなかった薫には予想外のこととなったのです。
ここで憤ったところで大君の心は益々頑なになろうというもの。
取次を介して恨み言を言うのもみっともないので薫はさらさらと手紙をしたためて差し上げました。
 
まだ意地をはられるとは意外に幼くていらっしゃる。
私達の間に何も無かったなどと思う人はおりませんよ。
 
痛いところを衝かれ、その書きぶりが癪に障って大君はさっと血が上るのを抑えきれませんが、うまくとりなして中君を娶ってもらいたいという願いがあるので、無難な返事をしたためました。
 
亡き父の一周忌を終えてみますといよいよ悲しく沈みがちな日々を送っております。
ありがたいお越しですが今しばらく父を偲びたいのです。
 
そういった心持ちもあろうかと気の優しい薫は己の想いを抑えますが、こういう時こそ側で支えてあげたいと思わずにはいられません。
薫は弁の御許を呼び出し、そうした真心をわかってもらいたくて老女にとりなしてもらおうと考えました。
「弁、大君の気持ちはわかるのだが、私はもうあの方と他人ではいられないのだ。悲しみも分かち合い、慰め合って守りたい。どうかその気持ちを伝えてはもらえぬか」
「薫さま、大君さまはやはり中君さまを御身に委ねるという決心をされていられるようですわ」
「何故そこまで頑ななのであろう。少し近づいたかと思えばまた離れてゆく。それほどまでに私は厭われているのであろうか。それとも私では相応しくないと考えられているのであろうか」
薫は深い溜息をつきました。
「薫さま、人は誰でも己の運命に慄くものでございます。ましてや大君さまはか弱い女人ですもの。頼るべき親もないとなれば慎重になりますわ」
弁の言うことも尤もですが、これではいつまでたっても薫の想いは大君に届きそうにはありません。
「会ってももらえぬではどうにもならぬ。どうせ嫌われるのであればちゃんと私を知ってもらってからにしてほしい。弁、今宵私を大君の寝所へ案内せよ。よいな」
「かしこまりました」
女房たちもやはり大君のあしらいに納得がゆかぬようで、今宵こそは薫君と結ばれて欲しいという願いが君を後押しさせるのです。
 
陽が暮れて、紙燭の灯りが揺れるほの暗い一室で大君は薫君が京に戻られぬのを憂いておりました。
その身にはすでに薄鈍色の喪服ではなく鮮やかな綾の衣装が着せ掛けられ、化粧を施されてまるで婚礼の宵のように念入りに繕われております。
これは若い女房たちが喪も明けたから、と半ば強引にしたことです。
「大君さま、装われると気分も変わりますわ」
「色目が明るい方がお似合いですわよ」
などと、皆の目が自分を薫君にと訴えているのです。
大君は追い詰められたような気分になりました。
 
この邸には味方が一人も居なくなってしまったわ。
このままでは薫君を手引きするような不心得者もいるかもしれない。
 
そう思う反面、薫君が自分の意志を無視して無体なことをするとは思えないのです。
誰にも心は許せない、と大君は気を張るのでした。

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