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令和源氏物語 宇治の恋華 第五十五話

 第五十五話 恋車(十七)
 
秋の気配が濃くなり八の宮さまの一周忌が間近となった頃、薫は再び宇治を訪れました。
一周忌を境に喪が明ける姫君たちに新しい装束を一揃え用意し、法要を恙なく済ませるよう念入りな支度を整える為です。
姫君たちは御座所で法要に飾られる紐飾りを作っておられました。
この飾りは経机や経巻に華やかさを添えるものです。
他には僧侶たちに贈る法衣などを女房たちに教わりながら用意しておりましたが、おおむね薫中納言と阿闍梨が支度してくれていたので、それを考えるにつけてもこの方々がおられなければ満足な法要も営むことが困難であろうと女房たちにも心細く思われるのです。
薫君は姫君たちに御簾越しの挨拶を済ませると、自身も立派な願文をしたためようと座を立とうとしました。
その時にちらりと五色の紐が覗いたので君はほんの古歌の下の部分を口ずさみました。
「わが涙をば玉にぬかなん、という伊勢の御の気持ちが思い起こされますね」
これは大和物語にある逸話で宇多天皇の中宮温子に仕えた伊勢の御という女房が主人の死の哀しみをこらえきれずに詠んだ歌からです。
寄り合わせてなくなる声を糸にしてわが涙を玉にして貫そう、という歌を薫は引き合いにだし、もちろん姫君たちもそれとわかりましたが、物知り顔でそれをひけらかすのは憚られるものです。
大君はそっと紀貫之の歌を引用して返しました。
「糸によるものならなくに、ですわ。ましてや死別は尚悲しいことでございます」
これは旅路の別離は糸に縒り合わせるものではないが、やはり哀しいと貫之が詠んだので、大君は死別による一層の辛さを訴えたのです。
卒の無い返しにやはり奥ゆかしくも憎からず心を寄せてしまう薫なのです。
ほんの紙の隅にさらさらと歌をしたためました。
 
 総角(あげまき)に長き契りを結びこめ
       同じところによりもあはなん
(名香の包みの飾りとする総角結びの五色の糸のように末永い契りをあなたと結びたいものですよ)
 
そしてその横には催馬楽(さいばら=奈良時代の民謡が平安時代に雅楽曲にアレンジされたもの)の総角の歌が少しばかり綴られております。
姫君たちが総角結びをしていたのを踏まえてのものでした。
 
 総角や とうとう 
 尋ばかりや とうとう
 離かれりて寝たれども まろび合いけり
(総角の男の子と女の子が離れて寝ていたものが、あれやいつのまにか一緒に眠っていたよ)
 
他愛のない恋の歌ですが、先日から薫君を意識している大君はのぼせるのではないかと思うほどに恥ずかしくて顔を赤らめました。
戯れにも慣れない処女の肩肘張った虚勢です。
 
 ぬきもあへずもろき涙の玉の緒を
     ながき契りをいかが結ばん
(涙を玉にとおっしゃいますが、わたくしの命も涙の玉のようには儚く思われますもので、末永くの約束などできるものではありません)
 
まったくほんの軽い掛け合いも許されず、とりつく島もない固い御心よ、と薫は溜息をつきました。
「どうぞ匂宮にはそんな直接的な冷たいお言葉を返されませんように、宮は真剣に中君に恋しておられるのですから。つれなくされるのは私だけで十分ですよ」
いささか興醒めしたように薫は教典をしたためようと仏間へと引き下がりました。
大君はどうしても薫君の気に入るようには振る舞えない自身がもどかしくて情けなく、弁の御許もまったく可愛げというものがおありでない、と悩ましく身を捩るのでした。

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