令和源氏物語 宇治の恋華 第二十二話
第二十二話 橋姫(十)
心に闇を抱える薫中将と世に背を向けて隠棲する八の宮、救いを求めるように仏道に邁進するお二人にはいつしか強い信頼と絆が築かれ、薫が宇治へ通うこと三年の月日が流れようとしておりました。
薫をライバルとも親友とも慕う匂宮にはそれが少し寂しくもあり、薫が参内すると例の如く部屋を訪れてはまつわりつくように拗ねるのです。
「薫、近頃は風流な遊びにもあまり顔を出さぬではないか」
「なかなか忙しくてね」
「嘘つけ、足繁く宇治に通う時間はあると聞くぞ。俗聖に弟子入りしてそのまま出家でもする気かね?」
「それも悪くないな」
にやりと笑う薫に匂宮は呆れたように顔を顰めます。
「おお、嫌だ。ますます老成ぶりに磨きがかかっていることよ。仏弟子よりもそのまま干物にでもなってしまいそうだな、お前」
「酷い言いようだなぁ」
「そうではないか。若い健全な男子が青春を謳歌しなくてどうするというのだ」
「君こそ少しは落ち着いたほうがよいのではないか?相変わらずそちらの方面は派手なようだね」
「まだ運命の相手とは出会っていないということだ。今は旅の途中、探しているところなのさ」
匂宮の勝手な言い分が可笑しくて薫は声を立てて笑いました。
「そうそう、たまには破顔したまえよ。子供の頃はよく笑っていたではないか。難しい顔ばかりをしていると女にももてなくなるぞ」
「余計なお世話だ。ところで本当の処、君の意中の女というのは誰なんだね?」
「おお、そのこと。やはり冷泉院の女一の宮が気になるところだな」
「女房の話によるとそれは牡丹のような風格の美女だと言っていたぞ」
「それは俄然そそられるなぁ」
「まぁ、院は君の派手な評判を心よくには思っていないだろうがね」
「そうよな、深窓の姫君こそ父親が小うるさくてかなわん」
腕組みして難しそうな顔をしている宮を面白く眺めていると、宮ははたと思いついたように向き直りました。
「薫よ、宇治の八の宮には姫君がおられるのだろう?簡素な山荘ということだから、それこそ姫たちの顔も見たことがあるのではないか?」
「急に何をいいだすのかと思ったら・・・。女一の宮はどうしたのだ」
「それはまた今度でよい。で、顔を見たことはあるのか?」
「嗜み深い御方達だから顔どころか話さえしたこともないよ」
「お前、三年も通っていったい何をしていたのだ」
「私は八の宮さまに会いに行っているわけで、姫に通っているのではないぞ」
「そのような山里に稀なる美女が住んでいたら夢のようだと思わないか?半俗の僧侶のような父親ならば姫を託せる人物を望んでいるであろうし、その辺寛容そうではないか」
薫は匂宮にそのように言われて、初めて姫たちゆえに出家もままならない宮の御心を察するに至りました。
頭でそうとわかってはいても、なんとかしてさしあげようと本気で考えたことはなかったのです。
「そんな山里住いの姫ならば容易く顔も見られよう。美女であったら掘り出し物ではないか」
「宮さまの姫君をそのように軽々しく言うのはやめたまえ」
そう口では匂宮を牽制しますが、薫はこれまで姫君たちがどんな方々なのか探ろうなどと思ってみたこともなかったのです。
その脳裏にはあの野趣溢れる宇治の山荘の様子が浮かんでいるのでした。
「君は宇治へ行ったことがあるかね?」
「無論ないとも」
「自然ばかりが横たわった山なのだよ。情趣はあるが、雅は乏しい。八の宮さまのように修行僧のような御心でなければ向き合えない場所なのだ。姫君たちは存在さえ感じさせない在り様だぞ。きっと尼僧のような方々なのではないかな」
「尼とはまた味気ない発想だなぁ。お前、せいぜい楽しい夢くらい見させてくれよ。あーあ、興が醒めたぞ」
ふてくされたふうに匂宮は座を立ちました。
「薫、次の中秋の名月の宴には必ず出ろよ」
「わかった、わかった」
匂宮が居なくなると薫は八の宮のことを考えておりました。
もちろんこれからも経済的な面では面倒をみてさしあげるつもりではおりますが、いったい宮は姫君たちの身の振りをどのようにお考えなのか?
三年もお付き合いしておきながら今更それを尋ねるのも憚られ、自分が救われたいことばかりを優先して宮さまの御心裡を配慮できぬとは考えの足りぬこと、と薫は己の至らなさを深く反省しました。
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