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令和源氏物語 宇治の恋華 第五十九話

 第五十九話 恋車(二十一)
 
薫君から立派にしたためられた願文と大君への手紙が届きました。
後朝の文であろうと若い女房は嬉しそうに大君の元へ持参しましたが、大君は見ようともせずに代筆を頼むのを訝しく思います。
「大君さまも大人げない。喪も明ける前にと決まり悪いのもわかりますが、薫さまなくしてはもはや我らの生活もなりたたぬものを」
「ほんとにねぇ。あれほどの殿方を背とされるなんてこの上ないことですのに。薫さまは今宵もお越しになるかしら?」
「それはお越しになるでしょう。そして明日はめでたく三日夜だわ」
大君と薫君が結婚したと疑わない女房たちの遠慮のない噂話が中君には辛く聞こえます。
それまで自分たちの生活が薫君に支えられているなど到底考えも及ばぬことであったゆえに。
 
お姉さまは何もおっしゃらずにわたくしに心配かけまいと耐えてこられたのね。
 
それにしても女人というものは殿方の庇護なくしては生きて行けぬものであるか、と改めてその頼りなさに中君はせつなくなります。
日に日に痩せてゆく姉の細い肩から重責を取り除いてあげたいと思いますが、中君にはどうしたらよいのかわかりません。
いっそ薫君との結婚を真剣に考えようかとも思いますが、君が想うのは姉である、という真実が中君を惑わせます。
御簾の隙間からほのかに垣間見た薫君の美しさ、誠実な様子を思い浮べると心の動かぬ女人がおりましょうか。
中君は薫に好意を持っております。
それは恋とは言えぬ淡い憧れのようなものですが、もしも薫君が自分との結婚を考えてくれるのであればそれも悪くはない、と思われるほどに。
しかして薫君の意中の人は姉であるので君との結婚などはありえないのです。
 
いくら姉妹といえど薫さまが愛されているのは姉上ですもの。
あの一途な君が御心を変えるはずがないわ。
それに姉の身代わりとして愛されるなどこれほど惨めなことはあろうか。
 
中君は大君が子ども扱いする以上にいろいろと考えており、感情も豊かなのです。
そのように思いを巡らせるとやはり気になるのは姉の本心です。
薫君からの便りを喜び、自ら返事をして交流してきた姉の姿に偽りはなく、長く訪れの無いことに心を痛めていたのも紛れもないことであります。
 
姉上こそは誰よりも薫君を慕っているように思われるものを何故に拒むのであろうか?
はからずも一家の長としての役割を担うことになりましたが、庇護してくれる薫君と愛し愛される関係を築けるのであればこれほどのことはあるまいに。
父宮は生前姫宮の身の持し方を何かにつけて戒めておられましたが、薫君だけには心を許していたものです。
それがわからぬ姉上ではあるまい。
 
中君は大君の恐れに気付いております。
誰であれ愛を前にしては恐れるものです。
それは愛するがゆえに裏切られた時の哀しみを思ってのこと。
しかし時には勇気を持って前に進むことも必要なのです。
お姉さまが薫さまと幸せになってくださるならば必ず祝福してあげよう、と中君は顔を上げるのでした。
その決意を秘めた姿は凛として匂うばかりの美しさです。
果たして己の運命も知らぬこの麗しい姫君の決意のほどを大君は如何に思召しているのでしょう。

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