令和源氏物語 宇治の恋華 第七十九話
第七十九話 うしなった愛(十二)
薫が宇治から戻り、装束を改めて参内すると匂宮は浮かぬ顔で親友を迎えました。
「薫、よく来てくれた」
「どうしたのだ?顔色がよくないぞ、君」
「うむ、中君のことが母上にバレたのだ」
「いったいどうした経緯でだね?」
「どうしたもこうしたもない。あの憎らしい衛門督が告げ口したのさ」
「なんと夕霧お兄さまも強硬な手段を取ったものだ」
「今から母上に呼ばれているのでな。少し待っててくれよ」
「中宮さまは君の敵ではない。心の底から中君を愛していると伝えるのだよ」
「まぁ、腹を決めるしかあるまいよ。行ってくる」
「うむ」
なんとも急な展開になったものだ、と薫は深い溜息を吐きました。
大君たちに京へ移るよう仄めかしたのは正しかったかもしれません。
それにしても兄ながら夕霧のすることに義憤を覚えずにはいられない薫なのです。
愛し合う者同士が結婚して添い遂げようというものを何故横槍をいれようというのか。
それも自分の政治力の為にです。
その昔夕霧は世に謗られた大恋愛の末に現在の女二の宮さま(亡き柏木の未亡人)を娶られたと聞きますが、それならば尚のこと愛を重んじるべきではあるまいか、と不快でならないのでした。
薫は愛から遠くある存在故に愛に対する純粋な想いも世の男性たちより強いのかもしれません。
そういう点では大君と薫はやはり似ているのでしょう。
匂宮は薫にはああいったものの、やはり母親からのお小言は苦手なものでいつものように半ばふてくされたふうに顔を歪ませて御前に伺候しました。
「三の宮、そう渋い顔をせずにこちらにいらっしゃい」
「近頃ではお小言ばかり仰る母上に呼び出されて愉快な顔などできませんよ」
「まったくいつまでも子供のようだわね、あなたは」
匂宮は母が思ったよりも柔軟な応対であるのに安堵しました。
「あなたが隠れて通っていたのは宇治の故八の宮の姫君だったのね」
「はい。もうそこまでバレているのでは隠し立ては致しません」
「いつからのお付き合いなの?」
「だいぶ前から文を贈っておりましたが、返事を頂けるようになったのは去年の春でしょうか」
「実際に結婚したのはいつなのかしら?」
「この秋でございますよ。一年以上熱心に口説いてようやく結婚してくださったのです」
「そうなの」
明石の中宮はそこで言葉を切って息子の真摯な表情をまじまじと見つめました。
世の噂では当代一の女たらしと言われた宮が本当に長く想いを掛けて正式に結婚していたというのはこの宮が落ち着く兆しではないかと思われるのです。
殿方というものはよき女人と巡り会うことでがらりと変わることがあるものです。
もしも中君がそのように宮の運命を大きく変える女人であるのであれば無視することはできません。
中宮は母として三の宮を可愛く思っておりますので、中君を京へ迎えるのであれば手助けをしてやろうと考えるのでした。
「その姫君を愛しておられるのですね」
「はい」
「わかりました。わたくしはあなたの母としてよかれと思う方に力を貸しましょう。下がってよろしいですよ」
どちらともつかぬ物言いに匂宮は首を傾けたのでした。
匂宮はこれといった叱責がなかったことに拍子抜けしたというか、今ひとつ状況が呑み込めないでおりました。
これは薫に判断を委ねようと道々首を捻りながらまるで狐につままれたような表情を浮かべております。
「薫よ、どうにも得心がいかぬ」
「どうかしたのかね?」
「それが母上は怒ってなおられなかったのだ。いつもくどくどしくお小言を賜るというのに。これはどうしたことであろうか?」
「そうか、それはよかったではないか」
「何がだ?」
「君が中君を本気で愛していると姉上が認められたということに相違ない。姉上はこれから大きな味方となってくださるよ。おめでとう」
「はて、私にはお前の言うていることもよく呑み込めない」
「つまりだ、姉上は夕霧兄さまの味方ではなく、かわいい御子の肩を持つと仰せになったのだろう」
「そうだろうか。どちらともつかぬように思われたが」
「君は中君を愛していると答えたのだろう?」
「それはそうともさ」
「それが姉上に伝わったからこそ、お小言を賜らなかったのさ。姉上は情けの無い御方ではない。もとより公平で慈愛深い国母だぞ。夕霧兄さまの思惑などよりも息子の幸せを重んじる情け深い御方なのだ」
「私には小うるさい母君としか思えんがな」
「まぁま、これからは包み隠さず話して素直に救いを求めるのが賢明というものよ。それはさておき、中君のことだが、実は宇治を辞する前に京へ移る心積りをするよう話してきたのだ」
「こちらに移られる適当な邸でもあるのか?」
「なぁに、もう少しすれば三条の私の邸を用意することができるだろう。いっそそちらに大君、中君揃ってお越しになりませんか、と仄めかしておいた。中君に宮仕えを迫るよりも受け入れやすい提案であろう」
「なんと手回しのよいことよ」
「何しろやはり宇治は遠かろう」
「まったくもって。薫には世話をかけるがそうしていただければどれほど私も心休まることか」
「姉上が味方になって下さるならばこれほど心強いことはない。君が身を慎んだ結果が結ばれようというものではないか」
「これからも頼りにしているぞ、薫」
「故八の宮さまの為にも尽くさせていただくよ。耳の痛いことを言うようだが、私の面子をつぶさぬよう、中君を末永くよろしく頼むぞ」
「わかっているともさ」
そうして美しい貴公子達は朗らかに笑みを交わしました。
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