令和源氏物語 宇治の恋華 第七話
第七話 花合わせ(三)
さて、噂の婿にしたい貴公子ナンバーワンの匂兵部卿宮の意中の姫とは・・・。
やはり高貴な姫に心惹かれるのが男心というもの。
目下のところ皇女・冷泉院の女一の宮に高い関心をお持ちのようです。
冷泉院といえば薫が足繁く伺候するところ、と匂宮は淑景舎へと足を運びました。
手土産用に上等な酒も手に入れました。
「薫よ、おるか?」
気軽に覗き込むと、薫は何やら難しい顔をして楽人の名簿と睨めっこしているようでした。
「また難しい顔をしておるぞ」
「君か、ちょっと待っていてくれたまえよ」
「いくらでも待つが」
と勝手知ったる風に円座を引き寄せる。
「何の選定だ?」
「うむ。お主上が紅葉狩りの行幸をしようと思召されてな。楽曲に合わせた楽人を選べと言うことだ」
「父上は風趣を好むから気が張るであろ」
「君だって参加するのだぞ。共に考えてくれたまえよ」
「早く仕事を終わらせた方が酒も美味かろう。どれ、名簿を見せよ」
そうして二人でああでもない、こうでもない、と半刻ほど頭を悩ませて、なかなかの妙手を塩梅よく選定したのでした。
「普段使わぬ頭を使ったので、疲れてしまったぞ」
使いの者に書を預けると、匂宮が憚ることなくごろりと横になる姿に薫は手回りを片付けながらくすりと笑みを浮かべました。
「いや、助かった。お主上にお褒めの言葉を戴けたら、宮さまのお蔭です、と添えておくよ」
「父上に褒められてもなぁ。お小言を減らしてくれる方がありがたい」
「君の女人方面に関しては特に心配されておられるのだよ」
「そうそう、その女人のことよ」
匂宮が起き上がり、膝を詰めてくるのを薫は、またか、とあからさまに嫌そうな顔をする。
「で、誰のことだ?」
「恍けるなよ、薫に聞こうというのだから、冷泉院の女一の宮に決まっておろう。どうだ、実際噂ほどの美人なのか?」
「皇女だぞ。いくら出入りしているからといってお顔なぞ拝めるものか」
「庭先から覗いたことくらいあるのではないか?」
「君、まさか忍び歩き先でそんな下人みたいことをしているのかい?皇子ともあろう者が」
「薫よ、噂というのは恐ろしいものでな。噂通りと信じて通ってみれば、翌朝に恐ろしい夢をみるということはままあるのだ。目で確かめるということほど間違いはないのだぞ」
まこと恐ろしい目に遭ったと見える、と想像するだに薫は笑いを納めることができません。
「まったく今までどんな恋愛をしてきたのだか・・・」
「それでどうなのだ。お側近くまで許される薫ならば為人ぐらいはわかるだろうに」
ううむ、と腕を組んで頭を巡らせる。
「御声も直には聞いたことはない。何より院は昔からそこのところをきっちりと隔てられる厳しいところがおありでな」
「秘蔵の姫ということか。益々気になるではないか」
「嗜みの深さは申し分ない。お母上があの麗しい弘徽殿女御にお父上は院であるのだから、やはり美女ではなかろうか・・・」
「結局推測止まりではないか。ああ、もうよい、酒を飲むぞ。肴でもみつくろわせよ」
そうして宮は自慢の灘の酒を薫に振る舞いました。
「君、結婚をしたいのかい?」
「さて、どうであろう。ただ噂の美女には逢ってみたい」
なんと正直な宮であるか、とその素直さも羨ましくなる薫なのです。
「夕霧の右大臣には姫が多くあるだろう。大君は春宮の兄に嫁ぎ、中君はすぐ上の兄に嫁いだものだから、世間は私が三の君の婿に納まると考えているようだが、つまらない婚姻関係だとは思わないかね?どちらかといえば、六条院の六の君に心惹かれるのだよ。しかし、舅にもれなくあの口うるさい大臣が付いて来るというのはいただけぬなぁ」
「わたしの兄上を悪く言わないでくれたまえ」
「すまん、すまん。どうにも厳しい御方であるから、気が引けるだけだ」
「源氏の一門の長だぞ。お優しいが温い方ではないよ」
そうして薫は美酒を口に含む。
「尚侍の玉鬘殿の姫も美しいと聞くな」
「そうなのか?」
「お前はあちらにも伺候するのであろう。噂は聞かぬのか?」
「玉鬘の姉上に会いに行くのであって、姫とは会ったことも無い」
「そうそう、按察使大納言の中君も美人だとか。真木柱の君の連れ子の宮の姫も世に出ぬように謹んでおられるが、それこそ美しいとも聞いたぞ」
「まったく次々とよく名前が上がってくるものだ」
「どの花もみな違うのだぞ。競い合うように咲いているのだ。そして男と生まれたからには最高の美姫を手に入れたいものよ」
「やれやれ」
薫は柱に背を預けると姿を現した上弦の月を眺めました。
やはり私はどの女人にも心が動かないようだ。
きっと私に宿命の女人はおらぬのであろう、それならばそれでよい。
そう諦めにも近い深い溜息をついたのでした。
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