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紫がたり 令和源氏物語 第百六十六話 松風(三)

 松風(三)

一行は源氏が定めた通りに順調に旅路を進み、人に知られぬようにと細心の注意を払って密かに大井の山荘へ到着しました。
この山荘はどこか明石の浦の山手の御殿に趣が似ており、大井川を見晴らす景色が海のようで懐かしいのでした。

源氏の側近・惟光が主に代わり、無事到着の祝いを持参して待っておりましたが、本人のお出ましはというと、身分が重くなってしまったためそうそう容易いものではないようです。
「御方さま、長旅ご苦労様でした。残念ながら殿は政務がありますのでお越しになれません」
「承知しております。天下の大臣なればそうそう気軽に出歩くこともままならぬでしょう」
几帳越しに明石の上は卒なく応えましたが、やはり落胆の色は隠せません。
「私など殿の代わりにはなりませんが、せめてお過ごしやすくお邸を整えるよう言い遣っておりますもので、何でも遠慮なくお申し付けくださいませ」
「惟光朝臣殿、痛み入ります」

次の日にはお越しいただけるだろうか。
明日はどうか。

そのように明石の上が考えてしまうのは、思い切って決心をしてここまで来たものの、頼りになるのは源氏の君のみ、上洛してからはや数日が過ぎようとして、会える日が定かでないことに心細くなるのです。
大きな隔てを感じて、明石の上は物憂く大井川の川面を見つめておりました。

明石の上は源氏との約束の七弦琴をすぐ手元に置いておりました。
この音よ君に届け、とつまびくと、びゅうびゅうと唸る松風と響き合い、懐かしい明石の浦が思い出されてなりません。
源氏のお越しが無いことを嘆いていた母の尼君はその琴の音を聞き、わびしく歌を詠みました。
やはり明石の浦を思いださずにはいられないのでしょう。

身をかへてひとり帰れる山里に
   聞きしに似たる松風ぞ吹く
(尼になり夫とまで別れて帰ってきたこの山里で、明石の浦で聞いた懐かしい松風が響いていることよ)

明石:故郷に見し世の伴を戀ひ
    わびてさへづることを誰か分くらむ
(私の故郷である明石の浦を思って弾いたからだろうか。この松風が懐かしく感じられてならない。親しんだ人達よ、あなたがたにこの音色は届いておりますか)

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