紫がたり 令和源氏物語 第二百十四話 玉鬘(七)
玉鬘(七)
出発の日、まだ月が残る刻限に豊後介と妹たちは姫の元へやって来ました。
すでに旅装束を纏っております。
「姫、どうか心を強く持ってください。私が必ずや姫を京にお連れ致します」
「豊後介、辛い決断をさせてしまったわね。申し訳ないわ」
姫と乳母もすっかり旅支度を整えて迎えました。
「お母様、もしかしたらもう今生のお別れになるかもしれませんわね。どうかお元気で居てくださいませね」
「娘のお前と別れることになるとはねぇ。でも、わたくしはまた会えると信じておりますよ」
乳母は残る姉娘と手を取り合って涙を浮かべました。
この遠い地を後にすれば再び会うことも難しいかもしれません。
「京にはいってもしばらくは消息も控えなければ。大夫が京まで追って来るやもしれんからな」
「兄上、寂しくなりますわ。どうかご無事で」
「お前はこの土地で子供を立派に育てて幸せに暮らせよ」
「はい。お兄さまもお元気で」
月影に分かれ行く二人の姉妹はひしと抱き合い、名残を惜しみました。
姉「母上と兄上をよろしくね」
兵部「お姉さまもどうかお元気で」
別れを惜しむのに尽きることはありません。涙で月が霞んで見えますが、豊後介一行はそれを振り切るように舟に乗り込みました。
兵部:浮島をこぎ離れても行く方や
いづこ泊りと知らずもあるかな
(この地での思い出が辛いと漕ぎ出した身であるが、どこにたどりつくのかもわからない舟出であるよ)
姫:行く先も見えぬ波路に舟出して
風にまかする身こそ浮きたれ
(行く先もわからぬ海に舟出して、風に任せて漂うこの身がなんとも頼りないものであるよ)
乳母と豊後介は自分たちが逃げたことを知れば大夫監が必ず追ってくると思い、肝を冷やしながら、暁の中で神仏に祈り続けました。
その御加護でしょうか、早舟の足もあるのですが、東に向かって強い風が吹き、あれよあれよという間に京に近づいていきます。
淀川の河口が見えた頃には一行は安堵の溜息をつきました。
当面の危機を逃れたことで緊張の糸が解けると、心に浮かぶは捨ててきた妻子のことばかりです。
豊後介が“胡の地の妻児をば空しく棄て捐(ス)てつ”と白氏文集の詩句を口ずさむのを妹の兵部も悲しく聞き、夫の顔を思い浮べて涙を流すのでした。
そうして一行は無事に密かに京に入りましたが、姫の父の内大臣につなぎをつける伝手も無く、昔の知り合いである人の元に身を寄せることになりました。
その邸は九条にあり、下々の者たちが住む区画の近くで、貴族たちが住む場所とは遠くかけ離れているのです。
その物質的な距離が大臣という尊い方との隔たりであるようで、どうしたらよいのかもわからずに無為に日々が過ぎていきました。
京に来れば何とかなると勢いで上洛したものの、三月も経つとさすがに若い豊後介も暗澹たる気持ちで途方に暮れるのです。
いっそ筑紫へ戻ろうか、などと頭を過ることもありましたが、豊後介は出奔した時点で無位無官となり、今さら帰って大夫監に屈服することは姫にとって最も過酷な運命であると思いとどまるのです。
供として連れてきた筑紫出身の者たちはみなすでに筑紫に逃げ帰り、残るは数人の下男と筑紫に下る前から夕顔の君にお仕えしていた下女の三條という者ばかり。
乳母はそんな息子が気の毒で、
「苦労をかけてすまないわねぇ」
そう繰り返し詫びます。
「私のことなど何ほどでもありませんが、姫がお気の毒で。もう神仏におすがりするしかありません」
そう皆で項垂れたところに、思わぬ天啓があったのです。
「そういえば、初瀬の観音さまの霊験があらたかということですよ。みなで詣でませんか」
運命の導きとは不思議なもので、この何気ない一言が実は姫君の今後を大きく変えることになるとは、まだ知りもしない一行なのでした。
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