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紫がたり 令和源氏物語 第三百四話 藤裏葉(九)

 藤裏葉(九)
 
いよいよ明石の姫の入内が迫り、紫の上は源氏にこう切り出しました。
「わたくしがずっと姫に付き添っていたいのは山々ですが、そういうわけにも参りません。これを機に明石の上を姫のお側に遣わしてくださいませ。やはり若い女房ばかりでは心もとなく、そういった人達を束ねるのに明石の御方は適任だと思われます。何より何を置いても第一に姫のことを考えてくださることでしょう」
源氏は紫の上の方からこのように申し出てくれたのをありがたいと思いました。まこと引き際も弁えた見事な女人であります。
「あなたがそう言ってくれるとは。確かにそれが一番よいように思われる。明石の上はきっと姫の力になってくれるでしょう。では、さっそくあちらにこのことをお願いに行ってきます」
源氏はそう言うと冬の御殿へと向かいました。
紫の上はその姿を見送ると寂しげに俯きました。
いよいよ姫が手元を離れていってしまう、そう思うとぽっかりと大きな虚ろが胸の裡に出来たようです。
それほどに姫は紫の上の大きな拠り所となっておりました。
朝顔の姫宮や玉鬘への源氏の懸想、昔と変わらずに女人を求めるようであっても平静でおられたのは姫が側にいたからです。
愛情を注ぎ、心をこめて世話をすると姫はそれに応えるように素直に賢く美しく成長しました。姫がいなくなってからはどうしてこの心を慰めたらよいものか、と紫の上は頼りなく思うのです。
紫の上の心にはもう源氏という男性の存在はいないのでしょうか。
上は常日頃から御仏に仕えたいと思い続けておりましたので、いずれは夫という現世の絆(ほだし)は断ち切らねばならないと考えております。
少しずつ整理をして身も心も軽くなりたいものだと願っているのです。
源氏も知らぬその心裡では大きな岐路に差し掛かっているのでした。
 

入内の夜、紫の上は姫に付き添い宮中へ上がりました。
初めての場所ですが、紫の上や乳母が側にいることで姫の緊張も次第にほぐれていくようです。
紫の上は三日ほど内裏で過ごし、退出する際に入れ替わりで参内した明石の上と初めて顔を合わせました。
明石の上は姫を立派に養育してくれた恩義と今回の温かい配慮で頭が上がらず恐縮しきりでしたが、紫の上は気軽に声をかけました。
「あなたは姫の実のお母さまではありませんか。面をあげてください。姫を通じてわたくしたちも心を通わせてきたとは思われませんこと?」
明石の上はその気高い様子、加えて春の女神のように麗しい美貌に感嘆しました。
さすがこれほどの御方でなければ源氏の心を留めてはおけぬのも道理と頷けます。
「紫の上さまにはどれほど御礼を申し上げても尽くせぬほどです。此度のご配慮もありがたいばかりですわ」
紫の上も明石の上がこのように気品のある気高い御方であったかと得心します。
ライバル心剥き出しで嫉妬をしたこともありましたが、このような女人でこそ源氏も心を惹かれたのかと素直に感じます。
「明石の御方さま。ようやく姫をあなたにお返しすることができました。あなたならば姫の一番の味方となってくださるでしょう。そしてまだ若い姫を導いてあげてくださいませ。どうぞよろしくお願いいたします」
「わたくしの力の及びます限り、姫をお守りいたします」
紫の上と明石の上は長年のわだかまりも溶けたように手を握り合って涙を流しました。
 
姫の側近くに仕えるあたり、明石の上は親友と慕った懐かしい乳母の君と再会しました。
「御方さま、お久しぶりでございます。この日が迎えられて嬉しゅうございますわ」
「本当に。よく姫に仕えてくださって感謝しているわ」
二人は手を握り合って涙ぐみました。
「わたくしなど何ほどのことも・・・。素晴らしいのは紫の上さまです」
「ええ、そうね。先ほどお会いしたのですけれど、本当に麗しい御方だったわ。それに実の子でもない姫をあそこまで立派に育てていただいて、心も美しい御方なのね」
「明石の上さまも紫の上さまも素晴らしいですわ。わたくしは宮中にもお仕えしたこともありましたが、どのような女御さまよりも気高いお二方でいらっしゃいます」
そう答える乳母の君もこの再会の日を迎えて心底うれしく、また明石の姫の明るい未来を確信したのでした。
 
明石の上は姫と接するようになり、益々紫の上という人の懐の深さに感じ入る日々を送っております。
姫の美貌は天から授かったものではありますが、立居振舞の気品のある姿、怜悧なところなどは紫の上の教育の賜物なのです。
感謝の念しか浮かびませんが、それに負けないようにと明石の上も心を配るので、姫は益々磨かれ、そのような姫を春宮は心から慈しんでおられます。
華やかにときめいて、並ぶものなきほどのご威勢なのです。
そのような宮中での様子を聞くにつけても紫の上はうれしく思うのでした。

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