紫がたり 令和源氏物語 第四十八話 紅葉賀(七)
紅葉賀(七)
源氏は世に知られてはいませんが、子の親となったことを、もっと心を強く持たねばと己を戒めております。
そして今一人のまだほんの子供の紫の君のご機嫌を伺おうと西の対に向いました。こちらにも自分を頼りにしている愛し子がいるではないかと思い直したのです。
鬢のほつれもそのままに寛いだ姿で心の赴くままに横笛を吹きながらのお出ましです。
紫の君は源氏が邸に戻られたのにすぐにこちらに来なかったことを拗ねておりましたが、いつにも増して寂しげな笛の音に源氏を思いやります。
少し大人びてしっとりとした風情が加わった紫の君は庭に濡れた撫子のように瑞々しく、近頃ませたように恋の歌などを諳んじております。
源氏の笛に合わせて琴を弾く姿などもずいぶんと様になってきました。
優しく慈しんでくれた尼君に先立たれ、二条邸に引き取られてから、紫の君の世界は世にも稀なるこの源氏の君一色でした。
聡い姫は幼いながらも源氏の君が時折ひどく苦しい心を抱えながら笑っていられるのを目の当たりにし、この人にはあらぬような人の弱い部分などを敏感に感じとっておりました。
そんな時は共に楽を奏したり、絵などを見て穏やかに過ごすのです。
二人で過ごすことが自然なように思われて、源氏の膝にもたれかかったまま眠ってしまうことも度々で、この日もそのように眠ってしまいました。そうして左大臣邸へ向かうのは取りやめにしました。
源氏はこの幼い姫を思いやり、守っているつもりでしたが、この姫君こそが源氏の心を思いやり、癒していることに気付かずにいるのです。
幼くとも女人に備わっている母性というものは、殿方にはなかなかわかりづらいところでしょうか。
左大臣邸では源氏のお越しがないことを女房達が苦々しく思っておりました。
「二条の女はまだほんの“ねんね”だなんて源氏の君はおっしゃっているようですけど、殿方に纏わりついて媚びる女など下賤の者にちがいありませんわ」
そう鼻息荒く、容赦がありません。
葵の上は聞きづらいことと顔を背けておりましたが、もし本当にそのような賤しい者が夫の寵愛を得ているのであれば、正妻と言われる私の存在のなんと情けなく惨めであることか、と悲しくなるのでした。
実は二条邸の女君の噂はすでに父帝の耳にも入っていらして、ここは父らしく諭そうと苦言を呈されたこともありました。
源氏は何も言うことができずに自分の至らぬところを恐縮して畏まっておりましたが、帝は親の決めた縁談であったし、左大臣の姫と合わぬのであろうな、と御身と弘徽殿女御を重ね合わせたように思召して深い溜息をおつきになる。愛息子を庇う親心もある御方なのです。
ところで帝には源氏についていまひとつ心配なことがあるようです。
帝は才気のある美女が好みなので、宮中に仕える女官たちはそれは素晴らしい女性たちばかりです。
それなのに源氏の君の浮いた噂などはひとつも聞こえてこないもので、いささか生真面目が過ぎるのではと思召されております。いつでも張りつめてばかりでは心を削り、儚くなってしまうのではないかと心配なさっておられるのです。
源氏姓を与え家臣に下したのはのびのびと才覚を発揮して国の柱石となるよう願った為、親王は政治に参加できないことになっておりますので、源氏の才能を惜しんだ苦渋の決断でした。
亡き更衣を想いながら、いつでも帝の御心にはこのことがわだかまっているのです。
親心というものはいくら子を心配しても尽きぬもので、なかなか子供には通じぬもの、というのはご身分が高いことにも低いことにも関係ないのが世の常でしょう。
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