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紫がたり 令和源氏物語 第二百五十七話 行幸(一)

 行幸(一)
 
とにかくに人目つつみをせきかねて
      しもに流るる音無しの滝
(私の恋が人目に触れぬようにと堤を築いていたものを、どうにも想いを堰き止めることができなくて音無しの滝のように流れ出てしまうことよ)
 
古歌にあるように源氏の玉鬘への想いは日々募ってゆくもので、さて玉鬘をどうしたらよいかと悩んだ源氏はとうとう己の心に負けてしまいました。
この六条院に留められるようにと宮仕えを強く勧めたのです。
姫の幸せを心から願うのであればこれは残酷な選択です。
源氏の娘としても今上には秋好中宮がおられ、内大臣の娘としても弘徽殿女御がおられるからです。
そのような後宮へ送り込もうとは、源氏の心は玉鬘を六条院に留めて密かに手中にすること、それだけしか考えられない怪しからぬものなのでした。
尚侍という身分になるので、事務的な仕事も多く、必ずしも帝の寵愛を得るということはないですが、帝にお目見えする上級の女官ゆえお手がつく可能性はあります。
しかし源氏は玉鬘にこのように言い含めました。
「寵を競うなどという考えはお捨てになるべきですね。まぁ、あなたに野心があるのであれば別の話ですが。女官としての仕事をこなして気楽な宮中生活を楽しむのもよいものですよ。誰か意中の方がいるのであれば結婚されるのもよいですし」
源氏は下心を悟られぬよう言葉巧みに誘導します。
それまでは誰それは相手にするな、などと細かく指示して結局残ったのは兵部卿宮と髭黒殿と柏木かというところであるのに、突然梯子を外されたようで玉鬘は困惑しました。
「少し考えさせてくださいませ」
源氏はその返事に頷くとあっさりと春の御殿に戻って行きました。
玉鬘はその態度を不審に思いました。
近頃は毎日のように疎ましくまつわりつかれていたものをどうした心境の変化かと訝しく感じられるのです。言い寄られることがないのに越したことではありませんが、今さら真の親心に目覚めたとも思えません。
しかしいくら賢いといいましても所詮は初心な若い姫、源氏が踏み込もうとしている危うい世界に気付かずにいるのでした。

そんな矢先に師走に冷泉帝が大原野に行幸されるということが公にされました。
桂川のほとりの山野で鷹狩を催されるのです。
冷泉帝の行幸はこれまで何度かありましたが、今回は並みいる貴族達が供奉するということで大きな催しとなるようです。
源氏はよい機会だと玉鬘に行列の見物を勧めました。
これはあの主上(おかみ=帝)の立派な御姿を見れば、玉鬘の出仕の決意が固まるのではと期待してのことなのです。
「姫、お主上が行幸されるというお話は聞きましたか?」
「はい。女房たちが噂しているのを聞いた程度ですが」
「こうした催しでもないと女人はなかなか外に出る機会がありませんからね。他の御殿の夫人たちも見物するようですよ。あなたもずっと籠っているのも退屈でしょうから、たまには外に出てみるのも気晴らしになりますよ」
などとうわべは乙女心をくすぐる親しみを滲ませる源氏ですが、それは熟練者の狡猾さとしか言いようがありません。
「まぁ、楽しそうですわねぇ」
玉鬘姫は無邪気に、ただただ素直に行列見物に期待を膨らませるのでした。
 
次のお話はこちら・・・


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