紫がたり 令和源氏物語 第三百八十話 柏木(十)
柏木(十)
源氏は宮を出家させてしまったことを心底悔やみ、若い尼姿を見ると悲しくなりました。
これもあの御息所の仕出かしたことだと思うと憎く思われますが、宮がせめて母としての気持ちを強くもってあれば付け入られる隙はなかったのではあるまいか、とそう考えてしまうのです。
しかしながらあの時の宮の心の叫びは御子の存在さえも自分を責めているように感じていられたのでしょう。
とどのつまり源氏の冷たい仕打ちが宮を追い詰めたわけで、女三の宮の女人としての人生は源氏の因果によって絶たれたということになりましょう。
三月のうららかな日に源氏が六条院を訪れると、女房たちが何事か言いたそうな顔つきをしているもので、源氏が訝しく思うと、その日は若君の五十日(いか=生後五十日目)の祝いの日であるというではありませんか。
「宮さまは御出家されておられますし、五十日の祝いはどう致しましょう?」
「母が尼であろうとそんなことは関係ない。若君の大事な祝いの日ではないか。なんとしたこと、私もうっかりしていた」
源氏は急いで盛大な式を催すよう差配しました。
誕生して五十日の祝いを五十日(いか)。
百日の祝いを百日(ももか)といいます。
平安時代にはそれぞれ餅を用意して盛大なお祝いを催す習わしがありました。もちろん生まれて五十日の若君がお餅を食べることはできませんが、昔は子供が健やかに成長するのが難しく、節目の日に霊力があるといわれるお餅を用意して生く先々を祈ったのです。
お祝いの餅は現代でも受け継がれております。
地域によってそれぞれですが、誕生一年の祝いには『一升餅』が用意されます。一歳の子に一升のお餅を背負わせるという習わしですが、もちろん幼子に背負いきれるはずもなく、足元おぼつかず転んでしまうのを縁起よしとされました。これはその子が終生食べることに困らない、というお呪いのようなものでしょう。
また、七五三や入学の祝いには鶴の卵をかたどった紅白の『鳥の子餅』が供されます。これも我が子が健やかに成長するようにと祝うものです。
乳母や女房たちが祝いのために召し変えて御前に伺候すると、女三の宮の出家で沈んでいた六条院に春の華やぎが戻ったようです。
飾り立てた籠に果物が盛り付けられ、それぞれ目にも美味な料理が盛られた桧破子(ひわりご=白木で作られた膳)を前に、祝ぎながら和やかに宴が始まりました。
若君は顔立ちもしっかりしてきて色白で愛らしい様子です。
真の父の喪中であるのにそれを明かされぬとは不憫であるよ。
源氏はその子を抱き上げてまじまじと見つめました。
目元のあたりがやはり柏木に似ております。
しかしこの子には不思議と神々しい気品のようなものが備わっております。
それは柏木にも女三の宮にもない雰囲気、むしろ源氏に近い気がして、面白く感じられるのです。そしてほんのりとよい香りがするのはこの子の魂が無垢なものであるからでしょうか。
「私もそうたくさんの幼子を見てきたわけではないが、この子には夕霧や明石の女御の子たちにはない気品が備わっている。そうは思わぬか?」
源氏が近くの老いた女房に語りかけると、嬉しそうに顔をほころばせております。
「もちろんでございますよ。尊い宮さまの御子でありますし、お父君に似ておられるのですから」
事情を知らぬこととて致し方ありませんが、そのような事を源氏は咎めるつもりはありません。
若君は無邪気に笑ったり、口を鳴らしたりしているのがただただ愛らしく、子供とはこのようにかわいいものか、と源氏は改めて感じました。
たとえ自分の子ではなくとも私はこの子を愛せる、ふとそう感じたのです。
「そうだ、この子の有りように尊い香り。薫(かおる)と呼ぶことにしよう。どうだね?」
「尊き御名でございますわ」
乳母は嬉しさで顔を輝かせました。
「薫よ、私のようによい男になるのだぞ」
そう言って若君をあやす源氏の姿にはもうなんのわだかまりもないようで、一人の父の顔をしておりました。
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