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令和源氏物語 宇治の恋華 第六十七話

 第六十七話 恋車(二十九)
 
薫:しるべせし我やかへりて惑ふべき
       心もゆかぬあけぐれの道
(匂宮を案内した私がこの期に及んであなたへの想いを断ちきれずに惑うているなんて愚かではありませんか)
 
大君:かたがたにくらし心を思ひやれ
      人やりならぬ道に惑はば
(心配事も多く、御身との結婚などを考えられないわたくしの立場をお考えください。道に迷われたのはあなたご自身のお心からですわ)
 
歌を返す大君の声は涙に濡れて震えておりました。
変わらぬすげないいらえはこの人らしいといえばそうあるが、これ以上色めかしいことは言うまいよ、と薫は心に刻むのでした。
「それではこれにて失礼いたします」
薫は息のつまるような苦しさを覚えて大君の御座所を退出しました。
 
夜明けまではまだ少し、匂宮は今頃麗しい中君をその手に抱いているであろうと思うと夜半の瀬音もあいまって無性に寂しさが込み上げてくるものです。
山鳥は雌雄別々に眠るというがまるで自分は山鳥のようであるよ、とぼんやりと山の端に懸かる月を眺めました。
しかしながら山鳥夫婦は信頼の絆があってこその別寝なれば大君とは夫婦でもないまったくの他人であるというのがもどかしい。
友の為とはいえ、大君の悩みを深くした罪はけして軽くはないでしょう。
あの人へのちょっとした仕返しのつもりであったが、こうしたことは己も傷つくものであるなぁ、と虚しい風が吹き抜けてゆくようです。
 
 
大君は思い乱れておりました。
中君にまさか匂宮が通うなどとは考えもしなかったことだからです。
 
殿方を見縊ってはならぬ、とあの賢しらな老女房は言わなんだったか。
 
薫君がいつでも謙って譲ってくれていたもので大君はいつしか君を侮っていたのかもしれません。
賢ぶって思うままにしようと殿方を甘く見たせいで妹をとんでもない目に遭わせてしまった、と思いあがっていた自身が恥ずかしく、妹が今どんな気持ちでいるのかと考えると涙が止まらず後悔に身が捩れんばかりなのです。
薫と大君、考えるところは違いますが、共にまんじりともせずに山寺の明けの音を聞いたのでした。
 
 
弁の御許は薫君がそろそろ中君の寝所からでられるであろうと控えておりましたが、嗅ぎなれぬ薫物(たきもの)に訝しく首を傾けます。
見ると薫君ではないものの、君と見劣りしないほどの美しい貴公子がゆったりと無造作に姿を現しました。
これはどうしたことか、と狼狽しましたが、こちらも立派な貴公子ですので取り繕って鄭重にお送りします。
忍んできた戸口に薫君は佇んでおりました。
そうして二人は目を交わすと笑んで共に車に乗って宇治を発ちました。
 
貴公子達が去った後の山荘は、それはもう常にはない状態でした。
弁の御許が事情を尋ねようにも大君は涙に濡れて呆けているばかり。
中君は衣を引きかぶって寝所から出てこようともしません。
あまりにも突然のことで中君も混乱しているのです。
この間までは薫君との結婚を勧めていた姉がまさか匂宮を引きこもうとはどうしたことであるか、と自分の気持ちもないがしろに嵐に揉まれるように摘み取られたのが口惜しい。
とても匂宮を愛おしいなどと感じる余裕もなく、ただただ心が痛むのです。
 
わたくしは人の妻になったというの?
まだ恋しいとさえ思ってもおらぬ殿方と契りを交わしてしまった。
 
中君も溢れる涙を堪えられずに声を殺して泣きました。

次のお話はこちら・・・


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