紫がたり 令和源氏物語 第三百八十三話 柏木(十三)
柏木(十三)
夕霧は柏木が遺して逝った人たちを柏木に代わって慰めて差し上げようと心を配っておりますが、なかでも一条邸が気になって仕方がありません。
閑静な佇まいでは鳥のさえずりが響き、ほのかな香が芳しく、静かに慎ましく暮らされているご様子がまた好もしい。
足繁く見舞うごとに心惹かれてゆくのです。
夕霧の三条邸では年子の元気な若君が走り回り、また子供が生まれたものでこうした生活とは真逆であると言っても過言ではありません。
恋妻であった雲居雁はすっかり母の顔になり、口うるささも増したような・・・。
そもそも筒井筒の二人ですから気の置けないところがよい点でありましたが、遠慮がなくなるというのも困ったものなのです。
そんな夕霧には女二の宮がたいそう魅力的に感じられるのでした。
何しろ生真面目な夕霧のこと、最初のうちは柏木に代わって、という気持ちが強かったのですが、それが今は同情に変わっております。
皇女というご身分は重く、一生独身を通されるのが習わしですので、ご降嫁というだけでも世の人々は好奇の目で見るものなのです。そこにきて早々に未亡人になられたとあっては話題にならないはずがありません。
最初に訪れた日に御息所が嘆息されていたのもこうした世間の有様を苦慮してからのことでしょう。
夕霧はそんな宮がお気の毒で守ってあげたい、という男らしい思いが芽生えたのでした。しかし元来色恋には疎い夕霧らしく、天下の大将が若き未亡人を訪れることが世の好奇の的になることまで考えが及ばぬのが惜しいこと。
密かにその動向が注目を浴びているのにも気付かず、通い詰めております。
しかし火のない所に煙は立たぬ、という言葉通りに、取次ながらいよいよ宮とお言葉を交わせるまでに親しくなると、落ち着いた思慮深い様子が窺われ、どうして柏木はこの人を疎んだのであろうかと不思議なほどの淑女ぶりに恋の焔がちらちらと胸を焼くのです。
もしやそう美しい御方ではないのか、などと拝察されるも、とにもかくにも宮を想うことが多くなった夕霧なのでした。
いつしか季節は晩春になり、爽やかな風に誘われるように夕霧は再び一条邸に足を向けておりました。
その日は御息所のお加減がよろしくなく、女二の宮が自らおましになるということです。
夕霧はふと庭に柏と楓の木が一際色鮮やかにに枝を差し交しているのを見ました。
「仲睦まじく、まるで柏木と宮のようではありませんか」
そう誰ともなく呟く横顔はなまめかしく美しいものです。
宮の気配を感じ、夕霧はいつものように固く律儀な挨拶を交わすとふっと笑んで詠みました。
ことならばならしの枝にならさなん
葉守りの神の許しありきを
(柏木は私にあなたを頼むと言ったのです。そう考え慣れ親しんでいただければ私はこれほど嬉しいことはないでしょう)
そのつややかな笑みが魅惑的で、宮はさっと顔を赤らめました。
柏木に葉守りの神はまさずとも
人ならすべき宿の下枝(しづえ)か
(夫を失ったからと言って他の男を慣れ親しませる気はまったくございませんわ)
宮は冷静に夕霧を牽制しました。
「そのような婀娜めいた歌を詠まれるなど、下心あってのことかと思われますわ」
「これは大変失礼致しました」
悪びれるようでもなく頭を下げる姿が気さくでまた好もしく、宮はどうしてこのような御方がこの世にはおられるのだろう、と悩ましげに溜息をつかれます。
御簾と几帳がこの姿を覆い隠してくれていてよかった、と思われるほどに頬は紅潮されているのでした。
夕霧が一条邸を後にすると女房たちはいつもかしましく夕霧の男ぶりを称賛するのですが、この日ばかりは宮はそれを笑って受け流すことが出来ません。
胸が高鳴り、顔が赤らむのを見られるのが恥ずかしく、御座所へと引き籠られてしまわれました。
女房たちは口々に噂し合います。
「本当に美しくて控えめで、素晴らしい殿方ですわ」
「お優しいご気性にあの男ぶり、どうせならば宮さまの夫になってくださればこれほど頼もしいことはないでしょう」
「そうね。柏木さまも立派ではあったけれど、やはり源氏の院のご子息だけあるわ。絶対大臣になられるに違いないですもの」
「今日のご様子ならばそれはありえるかもしれないわ。夕霧さまは宮さまに関心があるようですもの」
宮の御心裡も考えぬ気楽な女房たちですが、暮らし向きのことなど宮さまの先々を考えれば夕霧が新しい背となることを切望しているのでした。
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