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紫がたり 令和源氏物語 第四百話 夕霧(三)

 夕霧(三)
 
夕霧は狩衣を纏って馬に跨り、近しい側近五、六人のみを供として邸を発ちました。
その後ろ姿には妻を振り返る思い遣りも感じられず、それどころかただの浮薄な風流人となり下がった見知らぬ男のもののようです。
 
あの人は変わってしまった。
私の夕霧はどこへ行ってしまったのだろう。
 
雲居雁はどうしようもない無力感に苛まれ、愛の終わりを悟ったのでした。
 
妻の傷心を知らず、京を離れるごとに秋の山野の風情に魅せられる夕霧は馬上からふと手を伸ばして色づきはじめた楓を手折り挿頭(かざし)ました。
もはや宮への想いだけがその心を占めているのです。
目元には円熟した男の艶やかさが滲み出て、えもいわれぬ美男子ぶりに供人たちも男ながらに見惚れてしまうほどです。
よく心得ている者たちばかりで主人は想い人に会いにゆくのだな、と事がうまく運ぶよう気を引き締めるのでした。
これまでそうしたことのなかった夕霧が何年も想い続けたこととて、側近としてではなく男として力になってさしあげたい、そう考えるのも無理からぬことですが、女の身である私には、どちらにも辛い思いが残るこの恋を応援する気にはなれません。
しかし恋い慕う心をどうして咎められましょうか。
 
小野の山荘はこじんまりとした佇まいでしたが、巡らした小柴垣も奥ゆかしく、どのように庭に野辺を再現しようにも自然に形成されたものには勝るまいと思われるほどに情趣溢れるもので、あわれ深く感じられます。
夕霧は女二の宮と御息所には似合いの住みこなし方でいらっしゃるよ、と益々宮への憧れが強まり、気持ちはもう圧し留められぬほどに昂ぶっているのでした。
寝殿の東の放出に修法の壇が設けられ、御息所は北廂におられるようです。
何分小さい邸なので大将をもてなす御座所というものがありません。
夕霧は西面に据えられた宮の御座所に通されました。
いつもの広々とした一条邸とは勝手が違い、御簾のあちらも狭く普段よりも宮をずっと近くに感じられるのが嬉しい夕霧です。
宮の身じろぎで気配が感じられ、ふわりと漂ってくる芳しい薫りに慕わしさは掻き立てられるのでした。
御息所の取次の女房は身分の高い人なので厳かに礼を述べられました。
「御息所はこちらにおましになれないことを大変恐縮されておられます。お言葉は、この度の計らいも心の行き届いたありがたいことで、お見舞いいただいたご親切は忘れることはありません。御身に勇気づけられてもうしばしこの世に留まりたくなりました、とのことです」
夕霧は畏まってその言葉を受けます。
「本来であればこちらへお送りするのも私の務めと心得ておりましたが、公務の為に失礼致しました」
そうして畏まって低頭するも、宮の御声が漏れ聞こえはせぬかと気になって仕方がありません。
しかしさすがに慎ましい御方なので、取次の女房が、
「宮さまも深く感謝されておりますわ」
と代わって伝えるのを憎らしく、せめて直接御声を聞くことができたならば、と願わずにはいられないのです。
御息所の女房が座を立つと緊張も解けて、近くに控える馴染の小少将の君に夕霧は漏らしました。
「長年仕えさせていただいても直接御声も聞かせていただけぬほどに隔てられるとは辛うございます。自分で言うのも何ですが、私は生真面目なところがありすぎて、つまらぬ律義者と陰で笑われているのではありますまいか。若い頃に色めいたことに慣れておればこうではなかったかもしれませんが」
それとなく恨まれるのが、やはり大将は宮さまに想いを懸けていられたのだ、と女房たちに知らしめられて、そのご立派な様子に粗略な扱いはできまいと、宮に圧してお言葉を勧められる。
「母上に代わってお相手すべきではございますが、看病疲れでわたくしもひと心地ないような有様でございまして、申し訳ありません」
夕霧は初めて聞く宮さまの御声にいたく感動しました。
か細く歌うような響きを宿しておられ、耳が洗われるように清々しく感じられます。
「御息所さまのご病気ばかりで私が心を込めてお仕えしているとはまさか思われないでしょう。御息所さまがお元気になられてこそ宮さまの御心も平穏でいらっしゃると心得ております」
夕霧は宮の心裡を理解するような口ぶりですが、思慕の情が含まれた言葉に宮は大層困ったこと、とうなだれるのでした。

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