紫がたり 令和源氏物語 第百三十四話 澪標(二)
澪標(二)
朧月夜の尚侍の君は源氏が帰京したことを嬉しく思っていましたが、もはや情熱だけでつき走るような子供ではありません。
帝の思いやりある御心にほだされ、分別もなくあった頃を恥ずかしく思い、源氏にも迷惑をかけてしまったと己の幼さを悔いています。
そんな姫が最近気にかけているのは、帝がどうやらご譲位を考えていらっしゃることでした。
一国を司るにはあまりにも優しすぎる帝のご気性はその重責に耐えられるものではなかったのでしょう。
姫は帝がうなされて苦しむ御姿を側で目の当りにしてきました。
退位されても帝に従おうと心は決まっておりましたが、帝は姫が源氏と添うても致し方ない、と悲しいお言葉を口にされます。
「尚侍の君、あなたはまだ若い。私に従う必要はないのですよ」
「何を仰るのです。わたくしの心は決まっておりますわ」
そうきっぱりと告げても、帝はまた目を伏せられます。
「男というものは見栄っ張りでね。こうやって寛容なところを見せたいのだが、本当にあなたが源氏の元に行くことになるならば、嫉妬に苦しむに違いない。あなた方は縁も深そうだから子まで為すかもしれないな」
「お主上はやはりまだわたくしを恨んでいらっしゃるのですね。それならばいっそあの折に重い罰を下してくださればよかったと思わずにはいられません。わたくしを後宮に呼び戻されて許す、とおっしゃらなければ、一生恥にまみれて邸から出ることは致しませんでした」
「ああ、またあなたを追い詰めてしまった。あなたを愛することを諦めきれなかった私の我儘に付きあわせたのが申し訳なくて、つい意地悪を言ってしまったよ」
そのお言葉が辛くて情けなくて、姫の心はまた痛むのでした。
年が明けて二月のこと。
春宮が立派に成人の儀を終えたその時、帝は譲位する宣旨を下されました。
源氏はその意向を前々から知り、兄帝を説得し続けてきましたが、意志は固く、弘徽殿大后にも知らせずにご決断なさったことです。
大后は突然のことに驚き、帝の元を訪れましたが、
「もう肩の重荷を下ろしたいのです。私はそう長く生きられるように思えませんので、せめて母上に孝行を尽くして余生を送りたいと思います」
このように言われては、大后も何も言い返すことはできませんでした。
朱雀帝は退位され、朱雀院と呼ばれるようになり、新しい帝は春宮(藤壺の女院と源氏の子)であられた君が即位されました。
その名を冷泉帝(れいぜいのみかど)と仰せになります。
新しい春宮には朱雀院の御子、承香殿女御がお産みになった皇子が冊立されました。
ここで以前弘徽殿大后が春宮を廃した後に据えようとしていた桐壺院の皇子・八の宮について触れておきましょう。
朱雀帝にはその頃皇子が無かったので、意のままに操れる八の宮を義理の息子として迎えた大后ですが、その後すぐに承香殿女御に皇子が生まれたことで八の宮を遠ざけるようになっておられました。
また源氏が復権してからは、事情を把握した源氏に八の宮は顔向けすることが出来ず、邸に引きこもりがちになりました。
この八の宮は一般に“宇治八の宮”と呼ばれる通り、次代宇治十帖において悲しい恋の糸にもつれた美人姉妹の父君でもあります。
政争の渦に巻き込まれ、悲運に翻弄された人なのでした。
さて、新帝は御年十一歳。まだ政事を司るには幼い年齢です。
朱雀院に乞われ、源氏を太政大臣として摂政をという思し召しももっともなことでしたが、当の源氏がそれを拒みました。
「致仕左大臣こそがその任には相応しいかと思われます」
源氏は院にそのように奏上しました。
かつて左大臣として国を支えられていた義理の父(葵の上の父)こそが太政大臣として相応しいと意見したのです。
引退した大臣は驚いて辞退しましたが、世が落ち着くまで昔正しく政治をとられた方が再び重責を担うのは異国でも聖人の振る舞いとされてきたので、朱雀院の懇願と源氏の説得で大臣はとうとうその任を負うことになりました。
御年六十三歳ではありますが、その頭脳はいまだ衰えを知らず、重ねてきた経験を活かした助言はやはり適切なものです。
また人望厚い人ですので、この御仁の意向にはみな従うのでした。
源氏は内大臣となり、宰相の中将も今は権中納言となって責務にあたっております。
宮中で二人は顔を合わせると共に国を支えようと無言のうちにも頷き合います。
若かった日々は過ぎ、源氏も権中納言も男として、国の柱石として立派に成長しているのでした。
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