『光る君へ』第39話を観て・・・ ※ネタバレあり
みなさん、こんにちは。
NHKドラマ『光る君へ』もとうとう39話まで放映されました。
本日は視聴感想を掲載させていただきます。
タイトルは「とだえぬ絆」でした。
賢子の裳着
冒頭にて為時(岸谷五郎さん)邸に里帰りしたまひろ(吉高さん)と弟の惟規(高杉真宙さん)がそろって一家団欒の時を過ごしている目の前には左大臣・道長(柄本さん)から贈られた賢子への裳着の祝いが並べられておりました。
今週もやってくれるね、真宙君。
ウッカリ発言で毎回ドラマをほっこりさせてくれる真宙君が、ウッカリ
「やっぱり自分の子はかわいいんだな」
と、漏らしましたことに為時パパはビックリ。
え?賢子は左大臣の子だったの???
鳩に豆鉄砲ばりに目が丸くなっておりました。
まひろの夫となった従兄弟であり親友の宣孝(佐々木蔵之介さん)がこのことを知っていたのか?と即座に心配になり、改めて友の心の広さに感謝する瞬間でした。
賢子の腰裳を結ったのは叔父である惟規でしたね。
ちょっと性格に難のある賢子も真宙君には心を許しているようで、今回で退場となりますが、道長に「姉をよろしく」と優しい心遣いをみせ、最後までほっこりエッセンスを与えてくれました。
女子が成人する儀式を裳着(もぎ=腰裳をつけて大人の装束を身につける)、男子の成人は髪を耳の後ろでくくるみずらを解いて官位を表す冠をつけることから初冠(ういこうぶり)と呼ばれます。
初子(はつね)
かわいい孫娘の実の父親が天下の左大臣であると知った為時パパは、初子の宴に呼ばれても落ち着かずに左大臣の顔ばかりを見てしまいます。
「賢子はあなたの子ですぞ」
と、言いたくて逡巡していたことでしょう。
為時パパは真面目な漢学者ですので、野心あってさらなる左大臣の庇護を得るためにそれを訴えようとしたのではないでしょう。
私が知る平安時代の常識を鑑みるや、親に仕えるのが子の務めという儒学の思想が色濃い時代でしたので、まことの子と父を知らぬ者同士では不憫であると考えたのではないでしょうか。
すでに父はこの世にないと信じている賢子に、実は父は生きているぞ、と知らせてあげたい祖父心ですね。道長にとっても最愛の女性との間に娘がいたのですから、きっと嬉しいに違いありません。
ですが、あくまでドラマの設定で賢子が道長の子ではないのが通説なので結構どうでもよい場面でした。
もしも道長が権力者特有の腹黒い人物であれば、また一人娘を手に入れたとどこぞの親王に奉るかもしれません。
思い切った設定はドラマとしては面白いですが、現実にそうであったら残酷な面もあるかもしれません。
ともあれ賢子は後に紫式部よりも出世し、宮中にてしっかり根を張ってゆく女性となります。
さて、私の書いた源氏物語でも「初子」のことは度々触れております。
平安時代では、新しい年を迎えて最初の「子」の日にお祝いをしました。
山野に出かけて若い小松を引き抜いて自宅の庭に植え、健やかに長寿を祈るというお祝いですね(=根引き松)。
そして同じく若菜などを食し健康を祈ったのです。
第二十三帖「初音」の冒頭に初子について触れております。
こちら・・・
そして最後に皆で宴をして盛大に祝ったのです。
その場で為時パパはドギマギしてしまっていた、ということでした。
淳康親王の元服
体の不調を訴えらえた一条帝(塩野瑛久さん)は定子との子である淳康親王を次の東宮に立てたいと考え、元服を急がせます。
前述の通り、みずらを解いて髪を削ぎ、髪を結あげて冠を着けるわけですね。
元服の前日に中宮彰子の元を訪れた淳康親王(片岡千之介さん)はまさにみずら姿でしたが、ビジュアル的にあの姿でのみずらはちょっと厳しいものでした。
その昔、あまりにもみずら姿が美しいと惜しまれた親王が二十歳を過ぎるまで元服を伸ばされた、なんて逸話もありますが、二十歳を過ぎてもみずら姿なんて拷問ですよね・・・。
話が横に逸れましたが、道長が危惧するように、淳康親王はやはり彰子を慕っているような・・・。
ちょっと気持ち悪いくらいに手を握っておりました。
彰子も「?」と困惑している体でした。
あの無間地獄のような愛執に囚われた源氏と藤壺のようにならないことを祈ります。
「きっとうまくいく」という弟の励まし
今回は登場時間も長めで、ドラマに深みを与えてくれた惟規君。
これで退場かと思うと寂しくてなりません。
仲の良い姉と弟でしたが、まひろがちょっとこじらせ気味で考えが堅苦しく、頑固な女性だったので、真宙君の存在のおかげでギスギスした親子関係も緩衝されておりました。
ああいう堅苦しい女性がまさか夫以外の子を産むというのもちょっと違和感がありましたが、あの弟君のキャラクターがあって、人とは変わるものだ、という感想を持ちました。
真宙君が言う通り、為時パパと口をまったくきかず悉く反抗していたまひろはかわいさの欠片もありませんでした。
そんな姉を「きっとうまくいくさ」といつもの調子で励ましたあの場面が最後となってしまうとは。
そして彼の死によって娘の賢子は母の弱い部分を知り、心を開くとはなんとも皮肉なことか。
まひろにとってもちろん大きな存在の弟でしたが、賢子にとっても大事な家族であったので、その彼が家族の絆をしっかりと結びつけたということでしょう。
惟規の辞世の句は以下の通りでした。
都にも恋しき人のあまたあれば
なほこのたびはいかむとぞ思ふ
(都には恋しく思う人がたくさんいるので私はどうしても帰りたい)
訳すればこうなりますが、たびは「旅」であり、「度」を掛けてあり、いかむは「行かむ」と「生かむ」が掛けてある構造になっております。
「生きて都に帰りたい」という思いが強く滲み出た歌ですね。
さてさて、来週は予告をみている限りでは、彰子が生んだ第一皇子・淳成親王が東宮に冊立されそうですね。
彰子ご立腹のご様子でした。
では、また来週☆