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令和源氏物語 宇治の恋華 第四十五話
第四十五話 恋車(七)
年が明けて、姉と妹だけの寂しいお正月はおめでたい雰囲気なぞさらとも感じずに過ぎてゆきます。
もともと山里ゆえ手に入るものも少なく、父と姫たちとで神酒を酌み交わす程度のささやかなものでしたが、未だ喪中にある為年賀は控えようという心持ちでただただ平穏と変わらずに過ごしているのです。
八の宮が亡くなって後に新年の祝いを寄せる者なども限られているので山里の正月はことさらにわびしいものとなりました。
薫君からは桧破子(ひわりご=桧でできた容器)に新年の料理と菓子などの詰め合わせたものが贈られ、新年を言祝ぐ歌が添えてありました。
その素っ気なさに落胆したのは大君その人です。
愛を告白されたあの折、思わせぶりなことは言わないまでも、せめて御好意をありがたく思っているとだけでも表せればこれほど辛くも感じなかったであろうか、とまた悔やまれるのです。
匂宮からはまだ咲かぬ紅梅の造花が細工された贈り物があり、その枝には冬を耐え忍ぶ百花のさきがけになぞらえた歌が添えてありました。
中君のつれない態度を堪えて春が来るのを待ちわびる、という旨のものでしょうか。
やはり些か色めかしいのが大君には鼻について耐えられません。
想いを寄せているところにこうした歌を贈るのはなんら破廉恥なことではありませんが、男女の愛も世間も知らぬ大君には不快以外の何物でもないのです。
薫君ならばこのようにはなさらないものを、というのが念頭にあるので殊更に匂宮の軽々しい手紙は気に食わないのでしょう。
「匂宮という御方はやはり世間の噂通りの浮薄な貴公子なのだわ。中君、この御返事には感謝の念をさらりとしたためるだけでよいでしょう」
大君はまるで親のような気持で中君に進言します。
父宮亡き後は自身がしっかりしなければ、中君を守って行かなければ、という思いが益々強くなっているのです。
しかしか弱い女人なればふとした折に父宮を思い出して泣き崩れてしまうのです。
それは一月も終わりの頃、山の阿闍梨から澤の芹や峰の蕨といった新春の山菜が贈られてきました。
たとい僧侶でも人の訪れの絶えた山荘にはありがたい客人で、女房たちはいたく喜び、すぐに仏前に供えられるように調理して姫君たちの御前に運びました。
「姫さま、我が山荘にも春が訪れましたよ。ありがたいことですわねぇ」
「香りがよくて、春を身近に感じるのは、山暮らしの醍醐味ですわ」
そう明るい声を上げるのも大君には煩わしく感じられます。
君がをる峰の蕨と見ましかば
知られやせまし春のしるしも
(父宮が御存命で御手によって手折られた蕨であればそれこそ心から春の訪れを喜べるでしょうに)
中君も姉に続いて詠みました。
雪深き汀の小芹たがために
摘みかはやさむ親なしにして
(雪の深い澤の汀に生える芹を誰の為に摘もうというのでしょうか。父宮のために摘めるのであればうれしいことでしょうに)
そう言ってまたうっすらと父宮を偲んで涙を浮かべられる姫君たちを弁の御許は複雑な気持ちで眺めておりました。
この御方がたは御自分の身の振りを如何考えておられるのか?
こうして生活にも困らずに優雅に父宮を偲んでいられるのも薫君の経済的な援助あってのことであるものを。
薫君は誠実な御方ゆえ、八の宮との約束を終生守られ姫君たちを見捨てることはないであろう。
しかしいずれ妻を娶られればこちらへもお越しになることはないであろうに。
なぜそれがお分かりにならずに薫君を拒むのか?
この春大君は二十六歳、中君は二十四歳となられました。
このまま二人が寂しく老いさらばえてゆくのが目に見えるようで、憐憫の情を催さずにはいられない弁の御許なのでした。
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