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紫がたり 令和源氏物語 第三百五十六話 若菜・下(二十二)

 若菜・下(二十二)
 
女三の宮の乳姉妹である小侍従はここのところ頻繁に柏木に呼び出され、やいやい責められるのを辛く感じておりました。
「小侍従よ、私はもう圧しも圧されぬ身分ではないか。どうか長年の思いを遂げさせておくれ」
「たしかにあなたは立派に世間に認められておいでです。しかし女二の宮様を賜ったではありませんか」
「女三の宮様が春の陽とすれば、女二の宮は落陽ほどのようなものよ」
「なんと不遜な。女二の宮様を得た上に女三の宮様までもとは」
柏木のあまりの言葉に呆れた小侍従はそれきり呼び出しには応じまい、と臍を曲げました。
初めは恋に破れて萎れている柏木が気の毒で文を取り次いだものの、近頃では身分が高くなり、さも時の人のような顔をして傲慢な面を見せるのが不愉快でなりません。
女二の宮を賜ったというのに未だ女三の宮への執着を断ち切れず、それどころか自信をつけた柏木は源氏に顧みられない宮の御心を慰めよう、などと源氏の院と言われる天下人と張り合おうというのです。
小侍従もそのような柏木に手を貸すこともないので呼び出しに応じなければよいのですが、無視すれば平身低頭の謝罪に泣きつくような文をしたため、女心をそそる高価な蒔絵の小物などが贈られてくるもので、どうにも突き放すことが出来ないのです。
最後に会ったのはほんの四、五日前のことでした。
「小侍従、どうか一度だけ宮様に会わせて欲しいのだ。物を隔ててでもよいから、御声をじかに聞きたい。長年のこの想いだけでも知ってもらいたいのだよ。けして無礼なことはしないと誓うから」
そう言って柏木は泣いておりました。
身分ある美しい貴公子にさめざめと泣かれると、どうにもきっぱり断ることが出来なくなるのは女の性でしょうか。
なんとかその場を逃れたい一心で言い繕いました。
「でも宮がお一人になることなどそうそうございませんのよ。なにしろ身分が高い御方ですから」
「それは重々承知しているとも。そんな折があったら必ず知らせておくれ」
そう言うと柏木は小侍従の手をとり、見事な蒔絵の櫛を握らせました。
それからはもう毎日のように「今日はどうであろう」という手紙が届くのです。
小侍従は重い溜息をつきました。
宮のことで悩まされているというのに宮はいつものように無邪気な様子でおられるのが小侍従には憎らしく感じられます。
乳姉妹というものは情愛の濃い絆で結ばれているものですが、小侍従には宮という人が理解できません。普通であれば夫に打ち捨てられたような扱いを受ければ腹もたちますし、嫉妬もするでしょう。
しかし宮はなんら変わらずに女童などを遊ばせたりして幼く過ごしておられます。
思えばこの姫は子供の頃から情緒も乏しく夫をもてば成長するかと思いきや、何ら変わり映えもありません。
乳姉妹とはいえ思いを通わせなければ情は湧かぬものなのでしょう。
小侍従は考えました。

柏木は宮を買いかぶりすぎている。
会えばきっと幻滅して目が覚めるであろう。
それは柏木の望みにもかなっていることですし、折があったら邸へ呼べばよい、と。

考えの浅いこの若い女房が宮の運命を大きく変えることとなるとは。
宮のそれまでの浅薄な人間関係、己の行いが自身を苦しめることになるのです。

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