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令和源氏物語 宇治の恋華 第十三話

 第十三話 橋姫(一)
 
薫にとって実の父が誰であるのか、どんな人であったのか、それを知りたいと願うのは当然なことでしょう。しかしそれを誰に尋ねればよいのやら。
母である尼宮は頼りなくなよなよと、もっとしっかりとした女人であったならば問いただすことも出来ましょうが、すでに俗世との縁を切られた御方であり、ただ少女のように無垢な瞳で薫だけを頼りとしていられるもので、そのような人にかつての不貞を糾弾することなどはできないのです。
いったいこの茫洋とした人に一の人と言われた源氏を裏切る大それたことが出来たものか、どのような情熱がそこにはあったのか、薫にはどうにもその辺りを察することはできないのです。
恋というもの、心を動かす情念が父を衝き動かし、母を如何に変えたのか、というのを真実の恋を知らぬ少年が察するには無理からぬこと。それでも幼い頃の記憶などを頼りにするとおおよその見当もついてこようというものです。薫の脳裏には亡き『柏木の大納言』という人物にうっすらと焦点を結んでいるのでした。
そうして決定的な確信を持ったのが、かつて玉鬘姫ともてはやされていた義姉の元を訪れた時のことでした。
夕霧に連れられて度々訪れた邸ではありましたが、元服したばかりの、まだ侍従の君と呼ばれていた薫は、こちらの大君が大変美しいと聞いていたのでほんの好奇心もありましたが、友人である大君の弟の藤侍従を訪れたのです。
 
玉鬘君の御前に呼ばれて楽などの宴が始まり、薫も乞われるままに琴を奏で、笛を吹くと、玉鬘君は涙を浮かべられました。
「なんと懐かしい音色なのでしょう。亡き父大臣の手にとてもよく似ておられます。そしてその笛を吹く御姿もわたくしの兄の柏木の君に似ておいでで。あの頃は楽しゅうございました」
そう昔を懐かしむ玉鬘君の言葉に薫は胸を衝かれたのでした。
姫は名人の手というものは似るのである、としみじみと感心しておられましたが、それはまさに血に勝るものはなしと薫には悟られたのです。それはとりもなおさずやはり柏木の大納言が御父であるということ。そうなりますと年は離れておりますが、この玉鬘君こそ実の叔母ということになりましょう。
果たしてその柏木という人がどんな人物であったのか、薫は逸る気持ちを抑えながら玉鬘君に尋ねました。
「その名人と言われたお父上とお兄さまはそれほどに素晴らしい音色を奏でられたのですか?」
「それはもう。父の和琴はあの源氏の院でさえ譲られたほどで、柏木の君は特に笛を得意としたのですよ」
「私も笛を好みますが、どうした人であればそのような名手となれるのでしょう?」
「そうですねぇ。柏木の君はなんでもよくお出来になる人でしたが、真面目な御方で朝夕のあわれに笛を吹き鳴らす、そんな風流を解する御方でした。その趣味の良さを認められてお主上の催しものなどがあると夕霧さまと二人で召され、いつでも中心にいらっしゃいましたわ。そうそう今の匂宮さまとあなたのような感じでしょうか」
「御存命であったならばぜひ手ほどきを受けたいものでしたが」
「ええ、残念なことです。誰からも慕われる御方でしたのに。病を得て若くに儚くなってしまわれました」
そうして涙を拭われる玉鬘君を薫が人一倍懐かしく感じたのは言うまでもありません。しかし薫は近しいものであると名乗り合うことはできないのです。
薫は肉親に触れた喜びにうちふるえながらも、なんとも沈んだ気持ちで御前を辞去したのでした。
 
沈着冷静、思慮深いという評判であった父・柏木とあの茫洋とした母との間にどんな経緯があったのであろう?
そんな御方にこそ恋の盲目は無分別を与えたのであろうか?
秘された過去のこととて知ることも叶いませんが、薫には両親の償いというものをその身に負わされて世に誕生したように思われました。
己の存在さえ罪にまみれているようで、御仏の手に縋りたいと強く願いました。
恐らくその頃からなのでしょう。
薫は現世に関心が薄く、どうしたら出家できるかとそればかりを考えるようになりました。
周りは薫の出家を容易に許してはくれないでしょう。
あらゆる絆(ほだし)がまつわって思うままにはならないのです。
年頃であるのに女人にあまり関心を持たないのも、いずれは世を捨てる身なれば余計な楔は作らないでおこうという気持ちからなのでした。
 
匂宮は薫のことを厭世的、とことあるごとにからかいますが、この君の出生の秘密を知らぬこととて、その悪意ない無垢な反応が薫には救いなのです。
事情を知りながら陰でせせら笑っている者にこの身を蔑まれるよりも、太陽のような君こそが薫自身そのものを見てくれていると思えば、それも自分と割り切れるのです。
薫は真の父と母の経緯を知りません。
しかしながら、その行いが人の道に悖るということは身につまされるように心得ております。両親の業を負おうと心に決めましたが、まだ若い身空で仏門に帰依することは目をかけてくれた冷泉院にも恩を仇で返すことになりましょう。
心だけはすでに御仏に委ねられているものの、今しばらくは、と耐え忍ぶように世を過ごしているのでした。

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