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紫がたり 令和源氏物語 第三百八十一話 柏木(十一)

 柏木(十一)
 
次代を担う眩しい御子の誕生に沸く六条院とは対照的に、源氏の永遠のライバルであり、友である致仕太政大臣の邸は暗く沈んでおりました。
一族の次の長ともなるべく愛息子の柏木が若くして身罷ったのは、致仕太政大臣にとってはまさに青天の霹靂。
曇りなき繁栄に翳りが差したようで、多くの若君に恵まれたとあってもその喪失は埋めるべくもないのです。
ましてや柏木は北の方である女二の宮との間に子が恵まれず、何をよすがと慰めればよいものか。
まさか六条院にて誕生を言祝がれる御子こそが真の孫であるとは明かされぬ秘事ゆえ、気の毒なことこの上ないのです。
薫を可愛がる源氏の目下の懸念は実の父の喪中である薫が不孝の罰を被るのではないかということ。
玉鬘を養女として世間に真実を公表しなかった折に直面した問題が今また源氏を悩ませております。
薫は本来ならば藤原氏の氏神を崇敬するべき者です。
しかしながら玉鬘の時などくらべるべくもなく、この出生の秘密だけは天を謀る罪と弾劾されても明かされてはならないのです。
源氏は朝に夕に神仏にひたすら薫の咎ではないことを祈り、人知れず柏木の供養を徳の高い僧侶に依頼したのでした。

柏木の葬儀は弟の左大弁の君や妹の冷泉院の弘徽殿女御らが中心となって整えられました。
夕霧の北の方、雲居雁も兄の死を大変哀しんでおりましたので、夕霧は柏木の親友として、義理の兄弟として、心をこめて役に立とうと奔走し、無事に葬儀は終わりました。
しかし致仕太政大臣と北の方の嘆きは深く、葬儀にあってもただ縷々と涙を流すばかりです。頼りにしていた息子が親よりも先に儚くなるとは、その哀しみはどれほどのものでしょうか。
まるで柏木と共に心も死んでしまったように呆けておられるのです。
かつては源氏と並び称された麗人が今はただの老人のように小さくしぼんでおられるのが哀れで、夕霧は柏木に代わって義父に孝行を尽くさねば、と改めて誓うのでした。
 
未亡人となられた女二の宮はというと、せめて夫の臨終を見舞えなかったことを情けなく辛く感じておられました。
皇女というご身分は大変重く、そうそう出歩くことができぬものなのです。
本来ならばあのまま看病をするべきでしたが、柏木の父母があちらへ引き取ってしまわれたので、もう二度とお会いできぬかもしれぬという覚悟はしておりましたが、実際に亡くなってしまった今となっては残念でなりません。
もしや回復するようなことがあれば、新しく夫婦としてやっていけそうな兆しが見えたものをその希望はぷっつりと絶たれてしまったのです。
女二の宮の御住まいになる一条邸は柏木が去ってからというもの、従者や下人も減り庭の草も伸びるままに荒れておりました。それがまた一段と寂寥感を催さずにはいられません。
もう先触れも華々しく帰宅する夫はこの世にいないのです。
春だというのにすべてが色褪せて、女二の宮はしみじみと涙を浮かべながら庭を眺めることが多くなっておられました。
 
柏木の葬儀が終わってしばらくのこと、風がさやさやと渡るうちに賑やかに人払いをして何者か一条邸の門の外に車を停めた者がありました。
女二の宮はそれがまるで柏木が帰宅したように思えて、胸が高鳴るのを抑えられません。
女房たちも自分たちが薄墨色の喪服を身に纏っているのもすっかり忘れて、
「ありえぬとはわかっておりましても、柏木の君かと思ってしまうものですわね」
などと言いあってはまた涙を流しております。
「君がいらした華々しい日々が懐かしいですわ」
「きっと弟君の左大弁樣が宮様にご挨拶にお越しになったのでしょう」
訪れたお客様をお迎えしなければ、と女房達がそれぞれの持ち場に控えようとすると、遣いの者が固い面持ちで御前に伺候しました。
「宮さま、お越しになられたのは夕霧の大将でいらっしゃいます」
夕霧は律儀に亡き友の遺言に従い、宮にお悔やみを申し上げようとやって来たのでしたが、一条邸では予想もしなかった貴公子の来訪に緊張が漲るのでした。

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