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桜は散ったあとも美しい

今年の桜は、早かった。

日本各地で、統計開始以来最も早い開花を記録したそうだ。年末から1月にかけての強い寒気の影響で桜の花芽が休眠から目覚めたこと、2月以降暖かい日が増えたことで花芽の成長が促進されたことが要因として考えられている。

もう、すっかり葉桜になってしまった。

満開の頃にぎわっていた駅前の桜並木も、足を止める人はいなくなった。
道路の隅に溜まっている桜の花びらが、なんだか切ない。
桜が散ってしまうと、不思議と春が終わったような気になる。まだ4月なのに。

ふと、俵万智さんの短歌を思い出した。

さくらさくらさくら咲き初め咲き終わりなにもなかったような公園(俵万智)

この短歌のすごいところは、満開の桜が散るまでの全てが表現されているところだ。

「さくらさくらさくら」とひらがなで3回重ねることで、桜の花が重なって咲いている様子が表現されている。やがて、花が散り、花びらは流され、残ったのは葉桜。桜であることの主張をやめて、そびえ立つ木。公園にあるのは、もう桜ではなく、ただの木なのだ。

桜のもつ無常観を現代の言葉で見事に表している。


一方、「願わくは 花の下にて 春死なん その如月の望月のころ」で有名な西行法師は、葉桜を題材に、こんな短歌を詠んでいる。

青葉さへ 見れば 心のとまるかな
散りにし花の なごりと思へば  
(西行法師)

西行は、葉桜にも美しさを感じていたのだ。青い葉を桜の名残ととらえるところが、さすがである。

桜は昔から、無常や命のはかなさを象徴してきた。散りゆく花に人生を重ねて、短い命を哀れんだのだ。その中で、葉桜に「心がとまった」西行。一年後の花につながる生命に思いをはせたのかもしれない。

散るゆえによりて、咲く頃あればめづらしきなり
「風姿花伝」世阿弥

「花は散るから美しいのだ」と世阿弥は言った。

西行はこう言うかもしれない。

「花は散ったあとも美しいのだ」と。


※俵万智さんの短歌はこちらの本に載っています。



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