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noteを100記事、毎日書き続けてみて分かったこと


読み物として、面白い記事を書きたい。

実名でやっていたブログを改め、
匿名でnoteを始めたのが2021年の4月。

なにか短期目標がないと火がつかないので、100記事までは「毎日書く」と決めて、noteを更新し続けた。


1.毎日更新、100記事の「ノルマ」は、けっこうキツかった。


100記事だと、3か月と10日ほど。毎日過ごしていると、3か月なんてあっと言う間なのに、毎日更新するとなると、なかなか記事が溜まらない。

それでもとにかく100記事書いてみないことには分からないことがあると思い、書き続けた。

途中、時間がなくてどうしても更新がつらい日は、昔やっていたブログの記事を手直ししてアップした。

「毎日書く」という目標設定は実は微妙で、「中身がなくても更新すればよい」という気持ちが自分の中に生まれてしまったことに気づいた。

それでもとにかく100記事毎日書いてみて見えてくるものをもとに、次の目標を決めようと思ったので、なるべく中身があるものを、無理な日はそうでないものでも毎日更新して100日経った。


2.noteを100記事、毎日更新して気づいたこと


100記事更新した自分は、どんなにすがすがしい気分になるだろうと思っていたが、実際に100記事書ききってみると、気づいたのは

全然足りないじゃん。

ということだった。

noteは、「いいね!」の代わりに記事に「スキ」がつくという機能がある。わたしのnoteは、たくさん「スキ」をもらったものでも20個くらい。それでもとてもありがたいが、noteトップや関連記事を見ていると、3年間、毎日更新している人や、1000記事を目指している人の記事が目立つ。

そして、1000以上の「スキ」がついている人あたりにくると、ブログがヒットして著書を出していたりする人にぶつかる。数えてはいないが、おそらく記事数は1000では済まないだろう。

数がすべてとは言わないが、とりあえず今いえることは「100記事くらいでなんとかなろうと思うのは甘い」ということだ。

試行錯誤するにも、検証するにも数が圧倒的に足りない。

しかも、中身がない記事なんて上げるのはカウントしても意味はない。

中身がある(と自分が思える)記事を、もっともっと書いていかなくては、スタートラインにさえ立てないと思った。

実は100記事書き終えてから、少し気が抜けてしまい、note更新の間が空いてしまっていた。100記事を毎日、というミッションが短期目標だから頑張れたけれど、達成して少し疲れてしまったのかもしれない。

3.こんどは「みんなに伝えたいことを書く」ことをつづけていく


そこからいろいろ考えて、改めてnoteも含め、「書いて伝える」ということをもっと自分の中で深めていきたいと思うようになってから、再度noteを書き始めた。

今度は「記事をアップするノルマ」ではなく、「みんなに伝えたいことを書く」というコンセプト。

ノルマを設けると「こなす」が生まれる。中身のない薄い記事や、ただ写真をアップするくらいなら上げないほうがよい。せっかくフォローしてくれた読者の信頼も落ちる。

そのぶん、きっちり毎日ではなくても、自分が心から誰かに話したいことを書こうと決めた。

そう決めてからは、ボーっとしていると通り過ぎてしまうような気持ちを書き留めたり、気づいたことをnoteの下書きに書き留めたり、ボイスメモにアイデアを残したりして、みんなに伝えたいことのネタを溜めるようになった。

すると、わたしには書きたいことがたくさんあって、毎日更新では足りないくらい伝えたいことがあることに気づいた。

あれもこれも書きたい、と思っているのに、さらに新しい刺激がある。気持ちが新鮮なうちに文章化しようとそちらを優先すると、長いこと書きたくて下書きのままになっているネタが増える。

そのくらい書きたいことがあるけれど、言語化してnoteに書くには時間が必要だ。だから追い付かない。伝えたいことを言語化する暇がないほど、わたしには伝えたいことがある。

だから、伝えたいことがなくなるまで書き続けたらきっと、記事数なんかどうでもよくなるほど書けてしまうだろう。

そして、その中で、読んでもらえる記事、自分が得意な記事、わたしが書くからこそ輝く記事、そんなものが見つかってくるのかもしれない。

だからわたしは、自分のノルマではなく、自分の「やりたいこと」として書く作業を続けていこうと思う。だからこそ続くし、だからこそ良いものが生まれると信じている。

今日もお読みくださりありがとうございました!


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