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絵描きのきっかけ

わたしは絵を描くことを趣味にしている。
暇さえあれば紙とペン(または筆)を取り出して、他には見向きもせずに描くほどには好きである。
わたしがこんなに絵に対して真摯になるようになったのは、とある人物が関係している。



中学生の頃所属していた部活に、とても個性的な先生がいた。

整えた口髭に丸眼鏡。煙草はパイプ派。愛車はフォルクスワーゲンのビートル。

ある日こっそり音楽室からアコースティックギターを借りて、部員が活動している間、部活中ずっと第三の男とかの名曲を爪弾くような人。勿論、いや当然というか、美術部の顧問である。

そう、それがわたしの恩師。


最初に対面した時、緊張とは別に、本当にこんな絵に描いたような人が存在するんだ、とぼんやり感じてしまうほど不思議な印象を抱くほどだった。

しかし絵に対しては本当に誠実で、決して緩過ぎるということはなく、自由性を重んじ、生徒に美術の楽しさをさりげなく教えてくれる、そんな授業スタイル。


小学校では「この絵はこの色」だとか、「これはちょっと変じゃない?」だとか(当時の先生も張り切っていたのだろう。気持ちは分かるが)、元々自由に絵を描きたかったわたしにとっては、そのアドバイスという皮を被ったお節介が非常に不愉快だった。

だから中学に進学して、色も指定されず、例え作品に影があっても指摘をしない。こんなに自由を重んじてくれる授業があるとは露ほど思わなかった。
でも指摘をしない代わりに「この絵にはこんな事も出来るんだよ」と、知らないことを沢山教えてくれた。それが毎回楽しみで、いつも新鮮な気持ちで挑んでいた。

卒業後も、彼が顧問を続けている間は、部活の仲間たち勢揃いで美術部に遊びに行ったほど、皆大好きな先生だった。

他の中学へ転任してしまうことが決まった時も、最後に皆で荷造りの手伝いに行ったりもした。
わたしはその時、「もう使わないから」と、授業で使っていたイーゼルと、真っ白なキャンバスを譲ってもらった。本当に、本当に嬉しかった。

物を貰ったからではない。卒業しても、顔を出す度にわたしのことを覚えてくれていて、最後の最後まで気にかけてくれていたことが、わたしにとって本当に嬉しい出来事だったのだ。


連絡先は頂いていたので暫くは連絡を取ったりしていたが、年数が経ち、自身も色んな事で忙しくなってからは、全く連絡出来ていない。

こんなに年を経たのだ、今でも覚えてくれているかも定かではない。しかし、わたしの電話帳には、先生の名が今でも記されている。
更に言えば、あの時貰ったイーゼルもキャンバスも、大切にし過ぎてまだ使っていなかったりする。


生活が落ち着いたら、また話をしたい。
今はこんな事をしているのだと、わたしは、当時の仲間たちは元気にしていると、きちんと報告したい。

いつかきっと。だって彼は、わたしに美術の楽しさを教えてくれた、大切な恩師なのだから。

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