ローマを歩いていたとき、フォロ・ロマーノのあたりで色粉を使って絵を描いている黒人青年がいた。 地面に敷いたシートの上で、台紙に青い粉を優雅な手つきでふりかけ、次は銀色の粉を手に取って、こんどは大きく手を振る、そんな動作を繰り返すと、宇宙に浮かぶ惑星のような絵が出来上がる。出来上がった絵はシートの端に並べられて、観光客に買われるのを待っている。 カラフルで目を引くし、絵が出来上がっていくのを見ているのは面白い(よくYouTubeでこういう動画を見る人は多いだろう)。ただ、
某ファミレスの”フリウリ風フリコ”なるものが話題になり、コンビニでも”フリコ”と称したものが売るようになって久しい今日この頃。コンビニのフリコも美味しかったし、ファミレスのものは食べたことが無いけれど美味しそうだと思っている。 ただ、わたしの知っているフリコと違う…違うのだ。 フリコはチーズがメインで、外側がカリカリに焼けている。フライパンで両面をこんがり焼く。チーズはトロリとするけれど、ジャガイモはとろけるような裏ごしにはしない。 というわけで、フリウリ人のフリ
なんとなく考え事をしていて、憧憬とバイアスとはちょっと切り分けが難しいというか、地続きだなと思ったので。 ある帰国子女の友人は、自分が帰国子女だということをあまり言いたがらなかった。バイト仲間の飲み会でその話題が出たときに、どこに居たのかと尋ねると、すこしだけ間があってから教えてくれた。 ちょうど少し前にその国に行ったこともあり、私の脳内にはただちに異国で歩き回った街路の地図が4次元でロードされ、暑くて湿気が多くてくらくらした夏の日のような気分で、興奮して彼女にもっと
梅雨入り早々の6/12、「入国制限をさらに1か月延長する方針で調整中」というニュースを見てがっくりとうなだれた。 3月から始まった入国制限はどんどん対象国が増え、世界の過半数の国や地域からの入国ができなくなっている。短期滞在の観光客やビジネス客だけでなく、学生や就労ビザ、日本人の配偶者といった生活拠点が日本になる場合ですら入国はできない。 わたしの夫はイタリア人で、12月の終わりに日本で結婚した。休暇を利用して短期ビザで来日し、婚姻手続きや書類集めに奔走し、在留資格を
北イタリア、フリウリ地方のウディネから東にチヴィダーレ・デル・フリウリという小さな町がある。現在の規模は静かな田舎町なのだが、古代ローマ時代にユリウス・カエサルが築いた都市でもあり、町の中心の広場にはカエサルの像が立っている。フリウリ(Friuli)という地域の名前は、ラテン語で「ユリウスの広場」というのが語源とのことで、それで像が建てられたのだろう。 ずいぶん歴史の深い町だと思う。ローマ人の前にはケルト人が住んでいて、そのもっと前、旧石器時代からの遺物も見つかっている
「寒いのはわかってるから!もう言わないで!!」 そう、イタリア人に言われたことがある。ふだんはごく穏やかなのに、この時は語調が強めだったので妙に印象に残っている。 冬の北イタリアで暗くなってから外を歩くと、石畳から靴底を通って冷気が体を冷やしていく。ミラノやボローニャのように濃い霧が出て、雨も降っていないのに湿気で路面がぬれているような街では髪や服も湿って冷たくなるし、トリエステはボーラという強い北風が吹く。ウーディネのように山が近かったりすると単純に気温が低い。アル
インドを訪れたのは2009年だったか、母と一緒だった。 初めてのインド、噂をあれこれと聞いていたので心配のないように、また短い日程である程度回れるようにガイド付きのツアーにした。他人と長時間一緒にいることにストレスを感じるたちなのでだいぶきつかったのだが、ガイドも相当困ったと思う。仕事にまじめないい人だった。 時間のない日本人向けのツアーは3泊でデリー、アグラ、ヴァラナシを回る。デリーからアグラは車、アグラからヴァラナシは夜行列車、ヴァラナシからデリーは飛行機で時間を
4月の終わりに目の前に2冊の文庫本を置いて、どちらを読もうか迷っていた。 ゴールデンウィークに有休を足してどうにか作った10日と少しの休暇でパリとミラノに行ったのはもう3年も前なのか、と表紙を眺めながら気がついて、時間の過ぎる速さに愕然とする。毎年どんどん速くなっていくというのは本当なのだなと、20代のときもなんとなく思っていたけれど、30を過ぎてからの加速には驚いた。40代、50代ともっと速くなっていくのだろう。 子供のころから海外文学を読んでは行ったことのない外
前回に続き、イタリアの鉄道にて。特急列車の自由席券のようなものでミラノ〜ヴェネツィアを移動していたときのことだ。 どうもイタリアの電車の種類や名前が覚えられない。Trenitaria (民営化した旧国鉄)には鈍行とか急行とか特急とか新幹線のようないくつかの種類があって、FrecciaRossaという名前のものは特急か新幹線なのだとは知っている。とはいえ電光掲示板の運行表には特急か新幹線かの略称がアルファベット2〜3文字で表示されているのでややこしい。同じ駅で隣のホームに
電車で旅行するのが好きだ。飛行機と違ってのんびりと窓の外の風景を眺められるし、時間がかかる分だけぼんやりしたり、うとうとしたり、物思いに耽ったりする余地がある。バスは酔いやすくてわりと苦手なのだけれど、電車は揺れ方にある程度規則性があるし、カーブも少ないので酔いにくいのも助かる。 ◆◆◆ 前回のnoteでトスカーナのオリーブオイルのことを書いたのだが、そういえばイタリアの車窓でオリーブ畑をまだ見たことがない。 ミラノ〜ローマは新幹線を使った。ミラノ中央駅から発車し
フィレンツェで泊まったホテルは駅から近く、カジュアルな部類で、建物は小さいけれど部屋は十分な広さがあり、清潔でさっぱりしたとても心地の良いところだった。 見るからに古い建物で細い階段をずっと上らないとならないが、その階段もクリスマスらしく飾られていた。飾りや絨毯、調度品は年季を感じるが傷んでなく、よく手入れされ大切にされているのがわかり、感じが良い。 イタリア人の同行者とイタリアを旅行していると、だいたい受付ではホテルの人と同行者とだけでイタリア語で会話になってしまい
以下を3/29に勢いで書いて、推敲のため下書き保存して忘れていた。 ローカルな店舗、店員さんやオーナーの顔が見えるような、仲良くなって飲みに行ったりするような、友達に近い近さの店舗を応援したい。無くなって欲しくないし困って欲しくない。 とはいえ今は飲みに行くべきでは無いのだろう。このところずっと迷っている。 お店を応援したい気持ちもあるし、自分自身飲みに行って気分転換したいと思ってもいるのだが、下記のような記事を読むとそれが結局悪い結果になったイタリアのケースを考え
2019年8月、台北を訪れたのは三回目だった。いつも二、三泊の観光。今回は母と一緒で、はじめて私が飛行機もホテルも持つことができた。LCCに手ごろなホテルだが、小さな親孝行をしたつもりだ。 63歳の母は地方に住んでいて、最寄りのコンビニさえも車で移動する。地方はだいたいそうだろうけれど、東京の『一駅分』でも車に乗るような文化だ。夏の台北の蒸し暑さだけでなく、歩き慣れていないのもあってだいぶ気を遣った。 私は旅先でだいたい一日15~25km歩き回るが、この旅では休み休み
twitterで「アメリカで黒人女性の大学教授が用務員(?)と勘違いされ、コーヒーを淹れるよう言われた。彼女はコーヒーを出してから議長席に座り、頼んだ教授は(驚いて)コーヒーをこぼした。」といった内容のツイートを読んだ。 そのツイートには諸々のリプライがついていて、アメリカにおける差別の例が挙がっていたのだが、「ネクタイをしていないと教授だと思ってもらえない」という例を見て思いだした事がある。 昨年のクリスマスにローマで泊まっていたホテルは、私たちも含めカジュアルな予
2年前、北イタリアのトリエステという街で年を越した。 滞在していたチヴィダーレ・デル・フリウーリからウーディネに出て、そこから鉄道で1時間ほどだったと記憶している。 いかにもな田舎の工場地帯を抜け、ゴリツィアを回りアドリア海に沿って線路は続く。ユーゴスラビアと国境をやりとりした結果の、尻尾みたいな細長い領土だ。 トリエステが近づくにつれ、大学生らしい若者がよく乗ってきた。知り合い同士で挨拶したり近くに座ったりしながら、みな一様に黙って本を読んでいるのには感心した。
フリウーリ人のお母さんが、私と話すために英語を勉強し始めた。 前提として、フリウーリ地方の人の母語はフリウーリ語とイタリア語である。 話し言葉はフリウーリ語のことが多いが、正式な公用語はイタリア語なので書類など読み書きはイタリア語だし、地元のひと以外とはイタリア語で話す。 私は日本語を母語とする日本人で、英語がいくらか話せる。イタリア語は勉強中だが、まだ少ししか話せない。 フリウーリ地方の田舎に住んでいる彼女が外国語を学ぼうと思った際の選択肢として、もっとも現