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寒い日のはなし

「寒いのはわかってるから!もう言わないで!!」

 そう、イタリア人に言われたことがある。ふだんはごく穏やかなのに、この時は語調が強めだったので妙に印象に残っている。

 冬の北イタリアで暗くなってから外を歩くと、石畳から靴底を通って冷気が体を冷やしていく。ミラノやボローニャのように濃い霧が出て、雨も降っていないのに湿気で路面がぬれているような街では髪や服も湿って冷たくなるし、トリエステはボーラという強い北風が吹く。ウーディネのように山が近かったりすると単純に気温が低い。アルプスから下りてくる冷気も下りてくるだろう。東京のように広い都心とさらに広い郊外がずっと続くような巨大な街とは、街の人口が生み出す熱量も、保温する建物の密度も全く違う。
 それで、道を歩きながら、つい「寒い、寒い」とひとりごちてしまう。隣でしきりにそう呟くうち、一緒に歩いていた相手がうんざりしてしまったのだった。

◆◆◆

 ところで同じようなことをフランス人の友人も言っていた。彼は日本人の女の子と付き合っているのだが、彼女が「今日は寒い」とか「雨が降ってるね」とか天気の話をよくすることに辟易していると言っていた。フランス人の感覚では、寒いとか暑いとか天気がどうこうは誰でも見ればわかるので、わざわざ口に出すことはしないらしい。
 「誰かが天気の話をしたら、すごく馬鹿だから教えてあげないとわからないと思われているか、そいつが気の利いた話題も触れない馬鹿かのどちらかだ」とはそのフランス人の言。ずいぶん極端に思われるのだが、こんなものなのだろうか。
 彼はまるでコメディアンのごとく流暢でテンポの良い話術と豊富な話題の持ち主なので、特に辛辣な言い方になっている気がする。私の憶測だが、自分が常に相手を楽しませようと気を回しているので、天気の話をされると相手にとって自分はどうでも良い存在なのかと感じてしまうのかもしれない。
 日本ではよく「寒いね」「そうだね」と会話するんだよ、と伝えると、彼もそういう文化だと知ってはいるのだが、やはり天気の話をされるとついイライラしてしまうらしい。
 他のフランス人にも訊くと「うーん、しないね」とあっさりした答えが帰ってきた。こちらは大人しく慎重なタイプなのであれこれ言わないが、言葉尻や辛辣さに違いはあれど、『今居る場所の天気は誰でも判るから、そんなことをわざわざ口には出さない』のは間違いないようだ。

 そんなことを飲みながら話していると、隣で聞いていたイギリス人も会話に入ってきた。やはりそれが日本の文化だから、と穏やかに言う。何より、彼らイギリス人も天気の話をするのだ。この飲み屋の店主はアイルランド育ちで、彼によるとやはりアイルランドも天気の話を会話の始めにするそうだ。
「まあするよね。」
「とりあえず会話を始めるための、挨拶みたいな。」
「いきなり本題に入るのも難だしね。」
「わかる。」
 ということで合意したわれわれを横目に、フランス人はただ呆れた顔をしてビールを啜っていた。

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