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日本語とイタリア語と、語学学習における英語のデファクトスタンダード性

 フリウーリ人のお母さんが、私と話すために英語を勉強し始めた。

 前提として、フリウーリ地方の人の母語はフリウーリ語とイタリア語である。
 話し言葉はフリウーリ語のことが多いが、正式な公用語はイタリア語なので書類など読み書きはイタリア語だし、地元のひと以外とはイタリア語で話す。

 私は日本語を母語とする日本人で、英語がいくらか話せる。イタリア語は勉強中だが、まだ少ししか話せない。

 フリウーリ地方の田舎に住んでいる彼女が外国語を学ぼうと思った際の選択肢として、もっとも現実的なのは英語だ。
 日本でも同じだろう、地方で外国語を学ぼうとした際に英語なら町の教室もあるが、それ以外の言語は先生を見つけることがかなり難しい。
 書店に行っても英語のテキストなら見つけられるだろうが、それ以外の外国語は少ないはずだ。規模の小さい書店なら置いてない可能性もある。

 日本語は日本でしか使われない。イタリア語はイタリアでしか使われない。フリウーリ語はフリウーリ人しか話さない。
 私もイタリア語を勉強してはいるが、英語の方が話せる。仮に英語が殆ど話せなかったとしても、義務教育で触れている英語の方がイタリア語よりハードルが低いのは確かだろう。少なくともabcから始める必要はない。

 イタリア人に限ったことではないが、日本語を学ぶ際の大きな障壁として文字が挙げられるだろう。
 音を表すアルファベットにあたる平仮名・片仮名さえ50音、しかも子音母音の考え方がないうえに表意文字の漢字を崩したものなので、規則性を元に組み合わせるのではなく只管に全文字を覚えるしかない。その後には漢字という高く聳える広大な山脈が待っている。
 そのうえに文法はヨーロッパ系の言語とまるで違う。
 フリウーリのマンマがいまから学ぶのに、日本語は無理があるのだ。「こんにちは」くらいは覚えられても、会話をするレベルに達するのは現実的ではない。勿論世の中には老いてからでも習得する方もいるが、それだけの時間や体力、熱意を割くことができるかは本人の努力ばかりではない問題だ。

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 ヨーロッパ系の言語話者でない人間がイタリア語を学ぶ上での障壁は文法だと思う。
 辞書で動詞を調べると、一つの動詞に活用形が88個も並んでいて眩暈がする。近過去、半過去、大過去、遠過去、前過去、未来、前未来といった判りにくい名前の時制に命令形など、主格により6つの活用形があるものが14パターンもあるのだ。
 すべてのものには男女の性があり、その性と単数/複数かで冠詞や前置詞、代名詞も変化する。
 とにかくルールが多い。そのくせ、日本語のごとき柔らかさで主語が文末に来たりする。

 スペイン語や中国語であれば話者も多く、学ぶ機会も多いだろう。しかしわれわれは自分たちしか使わない、学習コストの大きいイタリア語と日本語で生きてきた。
 そうなったときに、共通の言語としては世界に話者が多いため情報が得やすく、文法が比較的シンプルで、多くの言語と共通のアルファベットを使用する英語を選択することは合理的だと思う。
 話者が多い点はあとから着いてきたとしても、その前段に学びやすいという条件があるはずだ。無論、政治や社会的な背景も普及に影響してはいるけれど。

 私がイタリア語を学ぶうえでも、英語を介することで学び方や教材の選択肢は圧倒的に多くなるし、単語や文法の理解でも助かっているのは確かだ。

◆◆◆◆◆

 私の手元には英語話者向けのイタリア語教本が数冊ある。
 買い求めたのはミラノのフェルトリネッリという大きな書店で、チェーンの旗艦店らしく、東京のジュンク堂やブックセンターのような規模だった。何フロアもあり、レコードや雑貨も売っていて、キッズルームやカフェも備えている。

 その書店で外国語の教本・外国人向けのイタリア語の教本を探してみた。
 両手を広げた幅の、背の高さくらいの書架で3つぶん。その殆どが英語話者向けのイタリア語教本、またはイタリア語話者向けの英語教本だった。
 イタリア語話者向けの日本語教材は辛うじて数冊あった。都会の大きな書店でそうなのだから、田舎では見つけるのは難しいだろう。

 ちなみにその大きな書店でも日本語話者向けのイタリア語教本は置いてなかったし、フリウーリ語の教本に至ってはロンバルディアにある訳がなかったのだった。

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