論文(アカデミック・ライティング)とは一体なんなのか?
私は現在、立教大学大学院リーダーシップ開発コースに通う、修士2年生です。いよいよ修士論文というものと向き合っています。
修士論文を書き始めてはいるのですが、「そもそも修士論文などのアカデミック・ライティングってなんだろう?」「レポートや本と何が違うんだろう?」ということに興味が湧いて、この本を手に取ってみました。
とてもわかりやすく、学びになるので、感想と共にまとめていこうと思います。
論文とは何か?
この本では、論文とは何か、という問いにこのように答えています。
一つの特徴として、論文は主張をしなければならないんですね。
主張を、英語で「アーギュメント」と言います。
では、アーギュメントとは何か。下記と定義しています。
ただ主張すれば良いというわけではなく、論証が必要な主張が述べられているのが論文、ということになります。
アーギュメントの例
私もここまで読み進めていて、「ふむふむ」と思うところと、とはいえ、アーギュメントって例でいうとなんだろう…?ということが頭に浮かんでいました。
この本では、アーギュメントとそうではない例が丁寧なステップで書かれてます。(丁寧なステップを読みたい方はぜひ本書を手に取ってみてください!)
まずは、アーギュメントではない例です。
私もこれを読んだ時、「ただの事実では…?」と思いました。その通りで、これはただの事実です。上記にも書いたとおり、論文は「論証が必要な主張」なんですね。これだと、論証ができません。
アーギュメントの例はこちらです。
論証は、単に意見を述べるだけでなく、客観的な事実や論理的な根拠をもとに、他者が納得できる形で主張を支持する過程です。これには、適切な証拠や理由を示し、議論の筋道を立てて論理的に組み立てることが含まれます。
男性中心主義とは一体どんなものなのか、女性キャラクターを排除しているとは具体的にどういった事態を指すのか、このような自問自答を繰り返して何を主張したいのか、明確にしていきます。
そして、これを読んだ人の中には、「いやいや、排除って…排除ではないんじゃない?」と思った人もいるのではないでしょうか。(私は少なくともそう感じました。)
しかし、この明確な意図を持つ「強い」他動詞を使うことで、誰が誰を排除するのかが文法的に避けられない要素として浮上し、結果として主張内容がクリアになります。
個人の主張を提出し、それを論証する責任を負う、それが論文である、と述べています。
この本を読んでみて、いかに自分がこれまで曖昧な他動詞を好んで使っていたか、ということを感じました。
どちらかというと主張がクリアになることで誰かがそれこそ「排除されてしまう」ことを恐れていたのですが、その恐れに晒されながら主張をすることが論文なのだ、ということが理解できました。
まとめると、アカデミックなアーギュメントは、以下と述べています。
ただ相手を言い負かすことや、論破することが目的ではなく、「あなたの言ってることって、本当にそうなの?」「そうじゃないかもしれなくない?」と疑問を持って会話を続けていくこと。
その問いに答えられなかったとするならば、もっと考え続けなければいけないということです。(先生や同級生からの質問がまさにこの繰り返しだな、と思います。)
そういう意味では、自分の主張に対して、「でもさ」「こういう場合はどうなのよ」という、先生や同級生との壁打ち(会話)はとても重要だなと実感します。
次回は、アカデミックの価値について、まとめていきたいと思います!
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