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『国際政治史〔新版〕』刊行によせて【中】

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2018年以降の国際政治の動きを振り返るーー補章について


――初版から継続して掲載されている章でも、さまざまなところを修正していただきましたが、今回の新版で、大きく変わったところと言えば、何と言っても、補章をつけていただいたところだと思います。

 補章では、初版刊行以降の、すなわち2018年から2023年までの6年間を中心に、2024年のことにも少しふれていただいています。

 新しく追加された、この補章につきまして、少し説明していただけますでしょうか。

小川 2018年4月に刊行した初版では、2018年1月のオバマ政権の終わりを終点としていますが、可能な限り、トランプ政権の初期のことも盛り込んでいます。

2018年4月に初版が出たので、トランプ政権のごく初期のことについては、少しだけふれることができたんです。このように、初版でも、もう今となっては第1期というべきなんでしょうけれども、トランプ政権のことについて、断片的には書いていました。今回の補章では、主に第1節のところで、ある程度まとまった分量で、第1期トランプ政権にふれています。
まず、イランへの制裁問題です。トランプはイランに厳しかったということですね。また、NATO諸国への負担分担の要求であるとか、最終的には、2020年の大統領選挙でバイデンに負けた後のアメリカ連邦議会議事堂の襲撃事件のことまで、トランプ政権の第1期について、ポピュリズムとからめながら書きました。

その流れで、次はイギリスのブレグジットについて書いています。イギリスは、2024年12月に、最終的に環太平洋パートナーシップに関する包括的及び先進的な協定(CPTPP)に加盟しました。この加盟のことは盛り込めていないんですが、加盟承認に至るまでは書いています。そういうイギリスのブレグジットや、いわゆるインド太平洋への関与強化の動きなどにもふれています。

ポピュリズムというと、フランスの今の国民連合(RN)やドイツの「ドイツのための選択肢(AfD)」についても書いています。さらに中・東欧諸国における、いわゆる非自由主義的民主主義の話も書いています。その後も、ドイツでは内閣信任案が否決され、そして総選挙実施というかたちになり、フランスでも内閣不信任案が可決されました。独仏の内政の混乱は、むしろ深刻化しているといえるかもしれません。

ブレグジット後のイギリスでは、新版で扱えていないんですが、総選挙がありました。その選挙で労働党が圧勝して、とりあえず議会での議席配分としては政治は安定しましたが、外交については、ブレグジット後、どうなるかはなかなか定かではありません。

アメリカのバイデン政権のことも少し書きましたが、アフガニスタンからの撤退は大きかったと思います。自由で開かれたインド太平洋(FOIP:フォイップ)や、日米豪印によるQUAD(クアッド)などを推進するようなかたちで、インド太平洋での、主に安全保障面での関与が進みました。これらについては、第1期トランプ政権の時期からの継続性もあります。たとえば、CPTPPに加盟することは、バイデン政権でもなかったですし、もう一回トランプ政権になりますから、さらにないでしょう。したがって、経済面でのアメリカの環太平洋ないしインド太平洋への関与はあまり進まないというか、トランプ政権の第1期のときに後退したままのような状況が続くのかなと感じます。

中東に目を向けますと、依然としてイエメンの内戦も続いていますし、ガザの非常に深刻な問題も続いています。この本で、私たちがあまり書いていなかったのは、おそらく戦後の中東紛争についてのことです。英語では普通言わないと思うので、この言い方は、主に日本での言い方だと思うんですが、いわゆる「第1次から第4次中東紛争」に至るまでの、主にイスラエルとパレスチナの問題をめぐる紛争というのは、もちろん構図は同じではないですが、いま現在、非常に深刻なかたちで、2023年10月から、もう1年以上続いています。重要なんですが、非常に難しい問題です。

こうした中東での紛争とロシア・ウクライナ戦争。この2つの戦争をきちんと書きたいと思っていました。ただ、ハマースがなぜ大規模な奇襲攻撃を仕掛けたのか、その真意は、本当のところはそもそもわかりません。そのあたりは、やっぱり外交史・国際政治史研究のように,資料に基づいて、政府内部の議論を確認できているわけではありません(もちろん、資料があれば全部わかるということではありませんが)。しかも、私が確認できていないだけではなく、特別なアクセスの権限がある場合は別ですが、他の研究者も基本的には確認できません。そうした中で論じるのは、そもそも無理、無茶なんですけれども、その無茶をなんとかやろうとしました。真意がどこにあったのかという議論や、実際の政府内部での詳細な議論は追えませんが、歴史的なそれまでの経緯であるとか、さまざまなアクターの動きとか、そういったものを、できるだけ整理するかたちで執筆しました。そして、そこに自分なりの解釈や分析を加えるようには試みたのですが、数十年経って、文書が公開されてみると、だいぶ違いましたということになるおそれはあります。

――第1節だけでも、盛り沢山の内容ですが、続けて、第2節はいかがでしょうか。

小川 第2節では、中国やインドの台頭にふれています。ただ、中国の経済状況は、コロナの影響も多かれ少なかれありつつ、不動産業や金融産業を中心に不振が目立つと、よく言われます。他方で、インドは、相変わらず人口は増え続けていて、人口で中国を抜いています。しかし、大気汚染をはじめとするさまざまな環境問題や、長期政権化したモディ政権の権威主義化といった国内問題を同時に抱えています。

北朝鮮の場合は、トランプと金正恩が、(今となってはだいぶ昔という感じもしますが) 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行が始まる前の時期に、シンガポールやハノイ、そして板門店にまでトランプは乗り込んでいって、3回、首脳会談を行いました。その間、北朝鮮は核実験をしていないんですよね。だから、トランプが抑えていたというのは言い過ぎかもしれませんが、一時期、北朝鮮の核・弾道ミサイル開発は抑制されていました。しかし、ちょうどアメリカはバイデン政権の時期にあたりますが、2022年から23年にかけて、北朝鮮はまた、大型の大陸間弾道ミサイル(ICBM)の実験を繰り返し、北朝鮮の核と弾道ミサイルの脅威が再び高まっているという感じがします。

また、コロナのことについても、少しまとめて扱いました。コロナは、欧州連合(EU)の国境を越えた人の自由移動にも大きな制約をかけることになりました。また、各国の国内でロックダウンがなされたというだけではなく、国境が非常に厳重に管理されるようになりました。これは、EU諸国だけでなく、世界各国でも同様でした。どの人を入れて、どの人を入れないのかというのは、国家主権の非常に重要な機能の一つだと思います。すなわち、非常に深刻な感染症のパンデミックという、いわゆる危機の状況で、主権というものがあらためて立ち現れてきたように思います。

トランプやブレグジット推進派も主権を強調する傾向にあります。グローバリゼーションが進む中で、あるいは、ヨーロッパ統合の中で国家主権が実態として相対化されていく中で――EUの場合、法制度としても相対化されています――右派ポピュリズム的な流れとして、主権の再主張のようなものが各地でみられます。

――最後の第3節では、いまもまだ終結していないロシア・ウクライナ戦争が取り上げられていますね。

小川 はい。2022年2月に、ロシアがウクライナに全面侵攻しました。しかし、当初のプーチンの思惑とは裏腹に、ロシアは非常に苦戦を強いられ、戦争は長期化しています。そのロシア・ウクライナ戦争についても、少なくとも2014年までは遡って、それ以降のロシア側の動き、ウクライナ側の動きを、あらためて調べたり、自分でメモをとっていたものを使ったりしながら、自分なりの分析や解釈を加えつつ、可能な限り大局的にみようとしました。

この節で、私自身が注目したかったので、あえて小見出しを一つ設けて,書き込んだのが、ナゴルノ・カラバフ紛争です。この紛争は、それ自体はかなり局地的な紛争といえるかもしれません。本格化したのは1990年代ですが、旧ソ連の末期から続いていた紛争です。もちろん、今後どうなるかはわかりませんが、ひとまずアゼルバイジャンがアルメニアを圧倒して、いったん終結に近いようなかたちになりました。アルメニア人たちの「ナゴルノ・カラバフ共和国」は事実上消滅を余儀なくされたのです。これは、ドローンをはじめとする最先端の軍事技術を、アゼルバイジャンのほうが、トルコとのつながりもあって、非常にうまく使ったことが大きいと思います。もう一つは、アルメニアの同盟国であったロシアが、ウクライナとの戦争にかかりっきりで、事実上アルメニアの支援ができないということも大きかったと思います。こうして長期化していた地域紛争が、非常に一方的なかたちで終わりました。最新の軍事技術は、ロシア・ウクライナ戦争でも非常に大きなインパクトを与えています。

この新版では盛り込めなかった、シリアでのアサド政権の崩壊も、やはりロシアがウクライナとの戦争にかかりっきりで支援の余裕がないという中で起こりました。そして、イランやヒズボラ、とくにヒズボラはイスラエルとの紛争で、相当ダメージを受けています。そういうことで、アサド政権を支えてきたさまざまな勢力に余裕がなくなる中で、非常に短期間でアサド政権が崩壊しました。このことは新版ではふれられませんでしたが、構図としては、ナゴルノ・カラバフ紛争と似ているところもあると思います。

ロシア・ウクライナ戦争への欧州諸国の対応、具体的には、フィンランドとスウェーデンがNATOに加盟したということにもふれました。実際には、トルコとの関係もあって、少し加盟に手間取りましたが、最終的には両国ともに加盟を果たしました。このように、ロシアのウクライナへの全面侵攻が、国際政治や国際秩序の変容を招いていることを、最後に書きました。

いろいろと話してきましたが、アサド政権の崩壊や、トランプが大統領選挙で勝利したといったことは書けていなくて、刊行されてすぐに、書きたかったけれど、間に合わなかったといったことが、すでにいくつか出てきているという状況です。

――ありがとうございます。補章について、あるいは補章が扱っているおよそ6年間の国際政治の動きについて、板橋先生、青野先生、いかがでしょうか。

板橋 小川さんの説明を聞いていて、この 6年間は、本当にいろいろあったなと思いました。 トランプに始まり、ロシア・ウクライナ戦争が起こり、そしてガザ紛争で終わるということで、本当にいろいろなことがあって、とても大変な6年間だったと思います。

この補章について思うのは、一つにはやっぱり、補章のタイトル(「国際情勢のさらなる悪化の中で」)の通り、国際情勢は悪化し、非常に混乱を深めたということです。あと、もう一つは、もともとこの本はそうですけれども、内政が国際政治に与える影響が、やはりこの補章では前面に出ていると思います。それは、ポピュリズムしかりですし、トランプなんかも典型ですし、あるいはブレグジットもそうです。

補章を検討する編集会議の際に、コロナについて書かれるところで強調してほしいと小川さんに申し上げたのは、先ほど国境管理の話が出ましたけれども、主権国家というのがヨーロッパにおいてさえも、前面に出てきてしまうような時代であったということです。

この教科書の副題は「主権国家体系の歩み」です。この「主権国家体系の歩み」というスキームの中で、うまく補章を小川先生が書いてくださったと思っております。青野さんは、いかがでしょうか。

青野 いま板橋さんがおっしゃったように、内政が対外関係に影響を与えるというのは間違いないと思うんです。ただ、もう少し考えないといけないのは、主権国家体系がもつレジリエンスみたいなものが明らかになっているということです。

自分も『冷戦史』の中で書いたんですけど、冷戦の時代は、どちらかというとユニバーサル(普遍的)なイデオロギーが大きな意味をもった時代でした。しかし、ユニバーサルなイデオロギーが力を失い、冷戦が終結して(フランシス・フクヤマが言ったように)歴史が終わったかと思ったら、今度はグローバリズムの時代に入ります。そこからおよそ30年経ちましたが、逆にまた主権国家が相対化される時代になりました。

グローバル化の進展は、いろいろな弊害とか悪影響をもたらしています。例えば、トランプ登場の背後にもそれが作用しています。グローバル化によって、割を食った人たちが出てしまったからですが、そうした人々はヨーロッパにもいると思います。どのような現象をグローバル化に含めるかにもよりますが、移民や、たぶん、先ほど小川さんがおっしゃっていたテクノロジーの広がりもグローバル化の一環とみなせそうです。感染症やサイバー空間の拡大もそういえるでしょう。グローバル化は、世界各地で国境を越える,さまざまな管理し切れないものをもたらしたり、疎外感を感じてしまう人々を数多く生み出したりしました。その結果、逆にナショナルのものへと揺り戻しが起きているという、大きな構図があるような気がしています。

つまり、現代は、内政が対外政策に、それが転じて国際関係に与える影響を考えなければならない時代だと思います。その現在の内政の影響は、その前の時代、グローバル化の時代からきているという感じがします。

鈴木一人先生がどこかで、たしか「思想としてのグローバリズムの終わり」という話をされていたと思いますが、「グローバル化を進めれば、いろいろなことがうまくいく」というような、1990年代にクリントン時代のアメリカが押し進めたような考え方が行き着くところまでいき、それがバックラッシュ(反動)を引き起こしているのが現在だといえるように思います。

ただし、思想としては終わっても、実態としてのグローバル化は、おそらく、まだまだ進んでいるのではないでしょうか。確かに、米中間のサプライチェーンのデカップリング(分離)などのように、国家の側からのグローバル化への介入が生じていますが、実態面でのグローバル化は依然として進んでいるように思います。

他方で、たとえばアイデンティティの源泉が国家に向かい、グローバル化の弊害について、国家(ネーション・ステイト)に救済を求める人々がたくさん出てきています。こうした背景の中で、ポピュリズムが台頭し、そのポピュリズムがデモクラシーを内側から侵食しているような時代になってきているようにみえます。

このように、デモクラシーが侵食され、かつ、ネーション・ステイトの力が盛り返しつつある中で、これから世界はどうなっていくのでしょうか。ロシア・ウクライナ戦争とか、中国の台頭とかが示しているのは、現在が、ネーション・ステイトがグローバル市場経済をうまく使って力をつけ、地政学的に対抗していくかという時代であるということではないでしょうか。非常に危なっかしいというか 本当にちょっと見通しがつかない時代だなという感じがします。

このようにみると、冷戦期は、確かに危ない時代であったのだけど、対抗軸がはっきりしてる分だけまだわかりやすく、ある意味「ロングピース」(長い平和)の時代だったのかもしれません。

板橋 非常に的を射た話だと思います。 やっぱりアメリカが管理しないグローバル化が現れているということでしょうか。

青野 そうですね。

板橋 第15章のタイトルは、「覇権の衰退」 となっています。アメリカ外交がご専門の青野さんにうかがいたいのは、アメリカは、軍事的には「世界の警察官」として振る舞わないし、グローバリゼーションにももはや乗ってこないという時代になっていますが、これは長期的なトレンドとして、やっぱり続くんでしょうか、ということです。

青野 はっきりしたことは言えませんが、少なくともそういうことに背を向ける大統領をアメリカ国民ははっきり選びましたよね。

板橋 そうですね。

青野 バイデン外交には、実質的にトランプから引き継いだものも結構ありましたが、少なくとも「国際主義」の建て付けをとろうとしていました。「中間層のための外交」という概念もそうですよね。しかし、今回の大統領選挙でアメリカ国民は、はっきりと国際主義に背を向ける大統領を選びました。

少し前に、ニューヨーク・タイムズの「ザ·デイリー(The Daily)」というポッドキャストで、ニューヨーク・タイムズの記者たちが、今回の大統領選挙でトランプの勝利を総括する対談を行っていました。

その中である記者が――ちょっと名前は忘れたんですけど――次のように言っていました。2016年の選挙でアメリカ国民は、まだトランプを何者かきちんとわかっていなかったけれども、アンチ・オバマ、アンチ・ヒラリーで選んだ部分があった。しかし、2024年の大統領選挙では、第1期のさまざまな出来事があり、その後の4年間、バイデン政権期のトランプの振る舞いもみて、どういう人物なのかがわかっていたはず。それでもトランプが選ばれた。この意味はすごく大きいのだと。

たぶん、それはそうなんだろうなという気がするんです。だから、4年間は、少なくとも 変わらない。実際には変わるかもしれないですけれど、たぶん意識的にそういう政権をアメリカ国民が選んで、権力を付託したことは間違いないと思うので、アメリカがグローバル化を管理しないというトレンドは続くんじゃないでしょうか。

(下)に続く)


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