水面に浮かぶ油分のイメージ
何かをしていた時、急に思い出した。思い返すとたまに夢に見ているのだ。
※不快指数高めです。
高校の時、水泳部だった。色々あって3年は続かなかったけど、後にも先にも運動部として頑張ったのはこの時だけ。
ある時、顧問の先生がイラついていた。フレンドリーで面白い女の先生で、怒ってるのはほとんど見たことなかった。どうしたのか聞いたら、プールを指差して、
たしかに水が濁ってた。そして水面に目視できるくらい油分が浮かんでいた。
吐きそうとはこのことだ。この水の中で泳がされてたかと思うと、吐き気がした。泳いでいれば必ず口に水が入る、多かれ少なかれ飲んでしまう。この水を飲んでいたのかと思ったら本当に気分が悪くなった。
そう。これか。化粧に対する嫌悪の原因。頻繁に夢に見るくらい未だに囚われているのだ。
あの時、先生がこんなふうに表現してた。
現代においてどこまで本当かは知らない。でも当時の私はすごい分かりやすい環境汚染の現場を見たのであり、その汚染物質=化粧品となったのは自分的には納得しかない。もう一度言います、今は知らん。でもまあ石油は石油だと思う。クレンジングオイルでしか落とせないのはそういうことだろうと思う。
だからか、今も顔を洗う時に油分の浮いた水を見ると謎の不快感があるのは。嫌なものは嫌なのだ。だから私は石鹸で落とせる化粧品しか使わない。水を汚染するイメージがあるからだったのだ。今やっと腑に落ちた。
今まで気がつかなかった。20年以上前に対峙したこの一場面にいまだに影響されてることに。謎が一つ解けてちょっとスッキリした。
これにちょっとだけ関係してるのが、コンタクトの洗浄液。有機農業をやっている友人宅に行った時、コンタクトはもうしないと話していた。理由を聞いたら、あのコンタクトの洗浄液は土を汚染する(いや、殺すみたいな表現だった)からと。
それから少しして、メガネにした。ごくたまに、髪を切るときやプールのときなどコンタクトをするが基本はメガネである。楽だからというのが理由だったが、土を汚染する洗浄液のイメージがどうしても拭えないからなのだ。
つまらんこと書く。
人間の見た目とかのために、一体地球はどのくらい痛めつけられてきたのか。食べ物として自分の体に入るものは無農薬とか言うのに、なんで地球に優しくないものを地球に流すのか。これじゃあ無農薬食べても結局は返ってくるじゃないんかね。
でも、べつに化粧を100パー否定はしない。日常ははっきり言って不要かと思うけど、大事なイベントでする化粧はやはり意味があると思う。コンタクトも時には必要である。私で言えば、一年に3回くらい髪を染めるのも必要なのだ。地球ごめんと思いながら。
でもやっぱり、地球ごめんである。人間の自己満足のために汚してしまいごめんなのだ。地球にやさしい○○が買えないカツカツな安月給でごめんなのだ。