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私も水の中:横道誠『みんな水の中』を読んで
読んだ本の紹介
先日、ずっと気になっていた横道誠さんの『みんな水の中: 「発達障害」自助グループの文学研究者はどんな世界に棲んでいるか』をようやく読みました。
この本は、著者ご自身が診断を受けたASD(自閉スペクトラム症)とADHD(注意欠如多動症)に関連して、詩・論文・小説の三部構成で綴られた作品です。
当事者研究やオートエスノグラフィー(自分の経験を記述する質的研究の手法)にもともと関心がある私は、その両者の文脈に位置づけられる本書に興味を惹かれました。
「水の中」と私のささやかな縁
実は私自身も「水の中」にちょっとした思い入れがあります。
小さいころは色水遊びがお気に入りでした。
その後もずっと、水や、水を思わせる透明感のあるガラス玉や鉱石が好きでした。
大学生のとき書いていたブログのタイトルにも「水の中」を使っていたくらいです。
だからこそ、書店やブックカフェで『みんな水の中』を見かけるようになった数年前からずっと気になっていました。
これまでなぜ読まなかったかというと、当事者研究の本が好きな私は、特にASD当事者の著作を好んで読むことが多く、他の分野の本も読もうと考えて自制していたのです。
(ASD的な感覚世界に共感できる部分があって自分の中でつい反芻してしまうためでもあり、単純に読む対象の属性が偏ってしまうのでバランスを取りたかったためでもあります。)
読むきっかけになった診断のこと
私自身が最近、思いがけずADHDとASDの診断を受けることになったため、改めて本書を読んでみようと思いました。
自分もその属性の仲間(当事者)だとすれば自己理解のためともいえるので、偏っていても読む理由になります。
診断の経緯を書いておくと、ADHDの薬で日中の眠気と不注意を改善できるのではないかと考え、メンタルクリニックにかかったのがきっかけです。
ASDについてはすごく困っていることもなかったのですが、ついでに診断をもらえました。
「水中」の感覚への共感
話を本に戻します。
『みんな水の中』に描かれている「水中」の感覚にとても共感したため、私自身の感覚についても記録してみようと思います。
本書で描かれていたことを網羅するものではありませんが、以下のような感覚は私自身にも心当たりがあるものでした。
水への愛着
植物や宇宙へのイメージの親近感
文学や芸術への没頭
白昼夢
感覚の飽和
自分の周りに外界と隔てられた空間がある感覚
自分が透明化して対象との境目が曖昧になる感覚
これらは極めて個人的な体験に基づくものと解釈していましたが、似たような感覚を持つ人は意外といるようです。
本書を読んで、神経発達症群やニューロダイバーシティに関する研究の中に、私の感覚を説明してくれるような概念がまだ眠っているのではないかと感じました。
当事者性について
以前(診断を受けていないとき)は、「ASD」「ADHD」「発達障害」などの関連用語をSNSに書くことになんとなく抵抗がありました。
もともと関心があったので本を読んだりネットで検索したりはしていましたが、徹底的に時間をかけて調べることは避けていた気がします。
それが診断を受けたことで、「調べてもいい」「書いてもいい」という感覚に変わったように感じます。
だけど診断以前と以後で私自体が変わったわけではないのにな、とも思います。
(※この、診断によって「調べてもいい」「書いてもいい」に変わったというのは、論理的/倫理的に妥当かはさておいて個人的に感じたことですが、他にもそう感じる人はいると思います。)
そもそも診断という「お墨付き」のない人であっても用語を使うこと自体には特に問題がないはず(言論の自由)。
「疾患名名」という側面があったり「マイノリティ属性」でもあったりするので、慎重な扱いにならざるを得ない場面はあると思いますが。
マイノリティ属性については全般的に、専門家と当事者以外の「非当事者」とされる人々(当事者性が曖昧な人も含む)が発信しにくいという問題があると思います。
(※上記のような内容を何かで読んで共感したのですが、出典を忘れてしまいました。)
神経発達症(発達障害)については特に、そもそも初診までや検査に時間がかかったり、診断基準を満たさないけれど特性がある人がいたりするので、診断がなくてもある程度の当事者性があったりします。
私自身も診断を得ようと最初に考えてから年単位かかっていますが、その間もADHDの人たちが発信するライフハックを日常生活に取り入れたり、ASDの人たちが描く感覚世界の記述に共感してきました。
どんな用語にしても、その用語を使うのにふさわしくない人はいない
誰もが必要な情報にアクセスできて自分なりの意思決定や工夫をできるほうがいい
典型的な当事者でなくても情報にアクセスしたり発信したりすることに抵抗を持つ必要はない
……というのが、はっきりと当事者性を持たない状態でこの属性について発信することへの抵抗感を持っていた私が、診断を経て本書を読みながら考え、改めてたどりついた新しいスタンスです。
まとめ
『みんな水の中』には他にも「社会モデル」「トラウマ」などなど気になるトピックがたくさんあるのですが……また思いつくことがあったら書いてみます。
全編を通じて魅力的に感じたのは、ASDやADHDを「障害(disability)」としてではなく「文化」としても詳細に描きだし、解説されている点です。
著者の豊かな感覚世界を味わい、翻って自分の感覚にも思いを馳せられるような本でした。
しばらくは私自身の自己/他者理解のためにも、神経発達症やニューロダイバーシティについて興味の赴くまま調べていきたいと思います。