言葉はおいしゅうなる。それはあんこのように。
今期の朝ドラ「カムカムエヴリバディ」の視聴後。
きっと私だけじゃない。
決まっておはぎが食べたくなる――。
和菓子屋で生まれ育った主人公・安子と彼女を取り巻く人々。想い合って生きる姿には、ドラマにもたびたび登場するあんこのように甘くて優しい香りが漂う。この数週は戦争に突入し苦しい描写が続いているが、そんな状況でも誇りをもって生き抜いた魂には胸が熱くなる。
ある朝、おはぎへの衝動がついに抑えきれなくなり、近所のおはぎ専門店へと向かった。その店のおはぎはどれもお洒落だ。昭和の和菓子屋を目にしたあとに食べたくなる「つぶあん」を5個、とは頼みにくくなるような華やかさがある。
せっかく「映え」なおはぎを買ったのでInstagramにも載せてみた。ドラマの舞台である岡山の方言を添えて。
「こねーに洒落たおはぎでのうて、昔ながらの『つぶあん』だけでよかったんじゃ。せーでも『インスタ』に載せるけん、『映え』を狙ーとこう思よーるん!」
東京で育った私が岡山弁で綴れるのはルーツがあるから。両親が岡山出身で、祖父母の家をしばしば訪れては、そこでしばらく過ごしていた。何なら妹の出産で一時期祖父母に預けられていた頃は喋ってもいたらしい。
岡山弁で文章を書いている際に脳裏を過っていたのは、今は亡き祖父母たちの会話だった。彼らの表情は、たまに帰ってくる孫を楽しみに待っていた笑顔。発せられるのは何をしても褒め、許してくれる言葉ばかりだ。「ええがな、たまのことじゃけん!」。私の知る岡山弁はちょっと古いけれど、無条件に注いでもらった愛の塊。その響きはどこまでも甘くて優しい。まるであんこのように。
母が「小さいときから耳にしてきた言葉はずっと残るものなのね」と妙な感心を寄せてきたので、「岡山弁がうもーてもちーーとも役に立たんけん! 英語ならよかったんじゃあけど!」と私は笑った。
「カムカムエヴリバディ」では主人公の安子が再び英語を学び始めるそうだ。戦争で家族を失い、女手一つで子供を育てていく。心身ともに疲れ果てた彼女の心を救うのが英語なのだろう。
言語とはただの記号で無機質だ。しかし、温かい人が息を吹き込めばどこまでも甘く優しく響くようになる。ドラマで「おいしゅうなーれ!」と小豆を茹でる安子たちのように。そんなことを感じさせてくれる毎日の15分もまた、私にとっては甘くて優しい時間である。
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