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#臨済宗

相国寺

相国寺

臨済宗相国寺派の大本山。相国寺は五山文学の中心地であり、画僧の周文や雪舟は相国寺の出身。
また、鹿苑寺(金閣寺)、慈照寺(銀閣寺)は、相国寺の山外塔頭(さんがいたっちゅう)
足利義満が花の御所の隣接地に創建を発願。
その地はかつて行基により創建された出雲寺(現・毘沙門堂。出雲寺は現・上京区毘沙門町にあった)や、法然が住していた賀茂の釈迦堂(現・百万遍知恩寺)が建っていた場所であるが、当時は安聖寺や

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聚光院

聚光院

聚光院(じゅこういん)は、大徳寺の塔頭のひとつ。
寺内は通常は公開されていない。

閑隠席は一見の価値があり、特別公開の際には是非訪れたい。

室町幕府12代将軍・足利義晴に仕えた三好長慶の養子・義継が永禄9年(1566年)に養父の菩提を弔うために笑嶺宗訢(しょうれいそうきん)を開山として建立。

千利休が開祖・笑嶺和尚に参禅したことから利休の墓をはじめ、三千家(表千家・裏千家・武者小路千家)歴代

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龍安寺

龍安寺

龍安寺(りょうあんじ)は、臨済宗妙心寺派の寺院。妙心寺の境外塔頭

山号は大雲山と号し、本尊は釈迦如来、開基(創建者)は細川勝元、開山(初代住職)は義天玄承

「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されている。

もともと衣笠山山麓に位置する龍安寺一帯は、永観元年(984年)に建立された円融天皇の御願寺である円融寺の境内地であった。円融寺は徐々に衰退し、平安時代末には藤原北家の流れを汲む徳大寺実

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春光院

春光院

春光院(しゅんこういん)は妙心寺の塔頭寺院

豊臣秀吉に仕え、後、松江開府の祖となった堀尾吉晴が、長子堀尾金助を小田原の戦いで失ったので、その菩提を弔うため、天正18年(1590年)に建立

近代日本を代表する禅思想家の久松真一 (西田幾多郎の哲学、鈴木大拙の禅学に影響を受け、東洋哲学、仏教、日本思想を研究) は、戦中・戦後の一時期を春光院で過ごし、当寺院で鈴木大拙と禅や近代哲学について語り合った

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東海庵

東海庵

東海庵

妙心寺の塔頭寺院。
1484年の創建。
開祖は悟渓宗頓(ごけいそうとん)。

書院西庭は文化十一年(1814年)東睦(とうぼく)和尚の作。
「書院庭園」として国の名勝および史跡に指定。

庭はそれぞれ趣が異なり、「東海一連の庭」と呼ばれる。
庭園には「体の庭」「相の庭」「用の庭」がある。
「体の庭」は石すらもない無の庭園
「相の庭」は苔と植物の庭
「用の庭」は坪庭。

大心院

大心院

大心院は妙心寺の塔頭寺院。

本堂南庭の「切石の庭」は中央に花壇が配置され、珍しい。
ツツジが咲く坪庭も侘びた趣がある。

明応元年(1492)に管領細川政元が、景川宗隆を開山として創建。天正年間(1573~1592)に細川幽斎が現在地に移転させた。
書院前の「阿吽庭」は中根金作の作庭。東西に長い長方形の地割をもつ枯山水庭園で、白砂、奇岩、苔で龍が天に昇ろうとする姿を表している。
宿坊としても利用

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大雄院

大雄院

大雄院は妙心寺の塔頭寺院

尾張藩家老・石河光忠が父の菩提を弔うために慶長8年(1603)に建立した妙心寺の塔頭寺院。

客殿には、江戸末期から明治初期の漆芸家・蒔絵師の柴田是真が描いた襖絵72面が残る。円山応挙の門人・土岐済美(とき ざいみ)筆の山水の襖絵も残る。

庭園は苔の枯山水庭園と池が連続してあり、広々と感じられる。
蓮華寺灯籠も見られる。

龍泉庵

龍泉庵

龍泉庵(りょうせんあん)は、花園の妙心寺の境内の南門付近にある妙心寺の塔頭寺院。

塔頭の中でも寺格の高い妙心寺※四派四本庵の一つ
妙心寺の創建当時から立てられ、塔頭の方丈としては最大級の規模を持つ。

室町時代中期の1481年、臨済宗の高僧・景川宗隆(けいせんそうりゅう)により武将の細川政元(ほそかわまさもと)を開基として創建された。

「禅は景川」

 「後御堂法坂 雪霜十六年(うしろみどうほ

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龍源院

龍源院

龍源院(りょうげんいん)は、大徳寺の塔頭。

大仙院を本庵とする大徳寺北派に対して、南派の本庵

文亀2年(1502年)に東渓宗牧(とうけいそうぼく)を開山として、能登守護の畠山義元、豊後守護の大友義長、周防守護の大内義興らが創建

創建年次については永正元年(1504年)など諸説あり、大徳寺の塔頭の中では最も古い。

方丈南庭は「一枝坦(いっしだん)」 と言い、- 1980年(昭和55年)に当時

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