2つの唇を彩る響き-コンサート制作記②
先日から書き始めた友人とのコンサート制作記の第二弾である。
前回↓
ざっくりまとめると、やりたいことを言語化して、コンサートの方向性を示す大きなコンセプトを設定するまでに至る話でした。
ところで主演の2人を紹介します
唐突ではあるが、これからの話の輪郭をよりクッキリと感じていただきたいので改めて今回歌を歌うふたりを簡単に紹介する。
このたびモーツァルトの愛人となったメゾソプラノ・おさとこと佐々木暁美(ささき さとみ)
そしてひと目ならぬひと耳惚れし、今回「妻」をやってくれるソプラノ・まいまいこと近藤眞衣(こんどう まい)
このうつくしい2人が、この演奏会の主役だ。
詳細なプロフィールについては、実はかなりきちんとこだわったやりとりがあるので改めて書かせていただきたい。
なお表記は引き続きおさととまいまいでいく。
話を戻すと、開催に向けてやるべきことはたくさんある。諸々の事務的なアレコレはもちろん一番気がつくかつこだわりたいところでいくとビジュアル関連なのだけど、そのイメージを作り上げていくにもまずはどんな曲を演奏するかがとても大事になってくると私たちは話した。今日は、演奏する曲目についてのエピソードを書いていく。
…というとずいぶんちゃんとした感じになっているけど、いつものようにまいまいの家におさとと私は遊びに行って買ってきたご飯を食べつつ話をした(楽しい)。
妻:コンセプトとしての超絶技巧
演奏会の構成としては、愛人と妻それぞれのソロ、最後に重唱、という流れを一旦決めて考えることにした。もちろんそれぞれの歌を聴いてほしいという意味は大きいが、換気のための途中休憩を挟むにしてもこれならばコンサートの流れに不自然さがない。
私は平たく言えばキャッチーな方、つまりソプラノ=妻の方から考えはじめたのだった。
前回の会議で定めた「妻」の設定は、「一番近い存在でありながら(音楽的)欲求をこれでもかと掻き立てて、全て飲み込み続けたうえで想像を超えた理想に仕立て上げてくる存在」である。
したがって、モーツァルトの書いたソプラノ曲の中でも特に技巧的だったり声域の高い曲たちをふんだんにお届けするのはどうかと提案した。
そして、まいまい自身もコロラトゥーラソプラノとしてこれまで作曲家を問わず数々の難曲を歌いこなしてきたことから知識も厚い。彼女を中心にあれこれ3人で話しながら、ソプラノは次の曲目にした。
1・ルイーゼが不実な恋人の手紙を焼いたとき(Als Luise die Briefe ihres ungetreuen Liebhabers verbrannte)
2・わたしは恋をして、幸せでした(Ach ich liebte war so glücklich)
3・純潔の王冠たる汝よ(Tu virginum corona)
4・いいえ、あなたにはできません(No, che non sei capace)K.419
5・復讐の炎は地獄のように我が心に燃え(Der Hölle Rache kocht in meinem Herzen)
テクニカルだが情熱溢れるリート(ドイツ歌曲)、に始まり、奇しくもモーツァルトの実在の妻・コンスタンツェと同名の役のアリア、処女聖マリアに捧げる麗しい教会音楽、身の潔白を決然と歌い上げるテクニカルなコンサートアリア、そして言わずと知れた夜の女王の絶唱。
難曲たちと言われる、モーツァルトのアリア群。しかしその旋律たちは恐ろしいほどに煌びやかで複雑で美しい。私はいつもモーツァルトのソプラノの曲を聴くと、ふんだんに貴金属と宝石をあしらい、精巧に作り込みがなされた豪奢なアクセサリーが詰められた宝石箱をひっくり返してスローモーションみたいにキラキラが落ちていくなかで、長い長い真珠のネックレスが切れて一粒一粒が一本の糸から外れて色んな方向に輝きながら散らばっていくような景色を想ってしまう。聞き終えた後惚けたような気持ちになるところまで含めて、彼の音楽をきれいな光みたいだと思う。
そんな彼の曲たちを、まいまいの声でこれでもかと贅沢に聞けたらどんなにいいだろう。
愛人:曲を通じて何を見つめる?
そして愛人。
方向性が定まってからというもの、おさとの意志は今まで以上に固く視界も明瞭だったので彼女の歌いたい歌は既に決まっていた。曲目としてはこうである(解説:おさと)
1・夕べの想い(Abendpfindung)
黄昏時。夕と夜の狭間でおもう死への予感
2・自分で自分がわからない(Non so più cosa son)
◆ケルビーノ=智天使ケルビム
四つの顔(人間、獅子、牛、鷲)を持ち、四つの翼を持つ。
知の象徴として全身に目がつけられている。
◆役としてのケルビーノ(男)
世の女性を惹きつける少年。若く溌剌な女中から年上の気高い貴婦人まで、どの女性がどんな自分を魅力的に思うか知っている。多分人間じゃない(おさと観)。
3・愛する瞳よ、泣かないで(Pupille amato, non largo mate)
◆チェチーリオ(男)
オペラ『ルーチョ・シッラ』。3時間にわたる長大なこの作品に、16歳のモーツァルトは甘美に煌めくアリアたちを思うがままに詰め込んだ。チェチーリオが歌うこのアリアはその中の一つであり、作品全体が煌びやかなコロラトゥーラのアリアで彩られているのに対し唯一と言って良い、ただひたすらに、穏やかに歌われるアリアである。愛する人との予定された死別とはどんなものなのだろう。容易に想像できることではないが、それでも我々はそれを想像し感情を落とし込み、舞台に乗せなければならない。16歳の彼が死に向かう者に描いた音楽はただ、ただ美しい。それだけの姿だった。
4・あの恩知らずは私を裏切り(Mi tradì quell'alma ingrata)
ドン・ジョヴァンニと唯一結婚した女性。ジョヴァンニの行方が分からなくなった後も、諦める事なく彼を追う。ほぼストーカー。彼の罪を憎みながらも唯一彼に憐れみが与えられる事を祈る女性。ジョヴァンニが地獄へ落ちた後も修道院へ入る人生を選ぶ。
5・私は行きます。だが、美しい人よ(Parto, parto, ma tu ben mio)
◆セスト(男)
自己犠牲の偏愛、もしくは純愛
ヴィッテリアに尋常ならざる恋をし、彼女に利用されることすらもいとおしいくて堪らない。(ヴィッテリアに「私のために親友を殺せば愛してあげる」と言われる)親友を裏切る事を心の底から苦しみつつも、愛する女の為に暗殺決行を決意する。自らの愛欲に正面から立ち向かおうとするその力強さにひそむ歪さは、彼が死へと歩み始めた匂いを抱き合わせ、高らかなコロラトゥーラとなって歌われる。
「このね、夕べの想いっていう歌…わたしはすごく好きなんだよね。初めて出会った時の気持ちを忘れられないよ、私のための歌だと思った」
死の香りを想わせる歌詞と、涙が滲むような切ない美しさの旋律。歌との出会い、というのは彼女たちにとっての日常であり特別であり…私よりもずっとたくさんあるだろうけれど、数ある中でそんな気持ちになれる音楽に巡り会えたおさとはすごく幸せなひとだと個人的には思っている。
他のラインナップも、コンセプトの「愛人」、つまりモーツァルトがメゾソプラノの楽曲群に託した神秘や情念、業のようなものたちをとても感じさせるものたちだった。最後の曲なんて、おさとは「この曲は私の歌う中で最もモーツァルトの死期に近い頃に作られたので、私もこの曲を歌って死ぬつもり。」と言いながら選んでいた。彼女の麗しい声で、彼女の解釈で、どんなふうに響くのだろうか。
何より驚くのは、モーツァルトの楽曲の幅である。ソプラノの歌曲が豪奢な宝石箱なら、こちらは海底で黒真珠を抱いて眠っている大きな貝みたいだと思う。逃げも隠れもせず、昏く透き通る水の底で美しいものをひそやかに守る。うっかり手を伸ばしたら最後、掴んで離さない。
曲順を通して描く物語とは
さて、歌う曲は決まったとして2人の歌う順番や曲の並びを考える。
本当は合わせ練習の様子を通しで聞いてから雰囲気などを考えていくのがベストだと話したものの、一旦すでに音源として存在するものをプレイリストにして聞いた上で判断することにした。
全曲通しで聴いたうえで、私は
出番順:おさと→まいまい→重唱
曲順:おさと変更なし。まいまいの手紙の曲は妻プログラム冒頭
と提案させてもらった。
理由としては、すでに世を去ったモーツァルトの概念を巡る2人の女性の物語が見えたからだ。
この判断に至る決定打になったのは、まいまいの一曲目である『ルイーゼが不実な恋人の手紙を焼いたとき』の歌詞であった。元は女流詩人ガブリエーレ・フォン・バウムベルクの実体験によって書かれた詞であるが、どうもこの曲が…亡きモーツァルトと彼の手がけた曲たちへの燃え盛るような悲しみと愛の歌に思えてならなかったのだ。
下にその歌詞を書く。
Erzeugt von heisser Phantasie
In einer schwärmerischen Stunde
Zur Welt gebrachte, geht zu Grunde.
Ihr Kinder der Melancholie!
熱い想像力から生み出され、
歓喜の時間にこの世に出てきた
悲しみの子供たちよ
さあ、滅び去ってしまいなさい
Ihr danket Flammen euer Sein
Ich geb'euch nun den Flammen wieder
Und all' die schwärmerischen Lieder
Denn ach! er sang nicht mir allein.
炎のおかげで生まれた存在だから、
私がもう一度炎に返してあげる
そしてあの絶賛を浴びた歌もすべて
彼は私一人のために歌ってくれたわけじゃない
Ihr brennet nun, und bald, ihr Lieben
Ist keine Spur von euch geschrieben
Doch ach! der Mann, der euch geschrieben,
Brennt lange noch vielleicht in mir.
燃えている、いとしいものたち
やがてここには何ひとつ残らない
でも、あぁ!お前たちを書いたあの男は、
きっと永遠に私の中で燃え続ける
命の炎という表現もあるし、他にも炎は生命や愛や崇敬や力などの象徴であったりもするが…その一方で日本人である私にとって炎には死であったり地上のものを天に還すイメージも存在する。この歌から受け取った今演奏会での「モーツァルトの妻」の姿は、多くの人から愛され賞賛されたモーツァルトが早くに居なくなってしまったことへのやり切れない悔しさと絶対的な愛情を持つ存在だった。
先ほども書いたが、おさとの楽曲群はどれも素直な恋や愛ではなくそこはかとない無常観がそこかしこに漂う。彼女の歌では、今回の演奏会の空気感を作ってもらう。かつて愛した者への儚い祈りや密やかで甘美な死の香りを立ち込めて、最後の曲で自分も冥府に向かって歩み始めるくらいの気迫というか、ある種の凄みを感じさせたい。
対照的にまいまいは妻としてモーツァルトの命の炎を見つめながら彼の歌と彼にまつわるいろんな情念とへの想いを込めた(ていにする、ここでは)幕開けで始める。一気に時間をモーツァルトが音楽家として欲望のままに生き抜いた時代に蘇らせて、彼が筆の走るままに音楽を紡ぎ共に過ごしたあの頃のように歌い上げる。
夜の女王のアリアは、この演奏会においては生の象徴であり別れの歌だ。彼が紡いだもっとも難しい曲を、オペラ本編内のようにギラギラとではなく目に涙を浮かべながら決然と歌う姿を想定している。
そしてその後の重唱で、2人の女は出会わずともすれ違い…みたいな風景を描けるのでは?と思ったのだ。メンバーもとても歓迎してくれた想定だった。
この並びは制作側的にも意味がある。
ほとんどのお客さんは立地もありおさとをメインに聞きに来てくださると考えている。まずは演奏会のスタンスを示して歌を「たっぷり」(=言い換えると、最初に聞いた方が集中力を保って良さを味わえそうな曲群だと思った)味わっていただいたのち、親友たるまいまいと共にモーツァルトに酔いしれるひとときを届けるのが美しい流れとなりそうだと判断した。
2人の声を重ねる歌が…足りない?
さて、それぞれに歌う曲は定まった。次は一緒に歌う歌=重唱を決める段だ。
理想としては、ソプラノが技巧的でメゾソプラノが叙情的な曲があるといいな〜と思いながら曲をそれぞれに当たってみた、ものの…
意外とないのだ、モーツァルトの書いたそういう曲が!とはいえ重唱は是非やりたいし、演奏会としても大切な場面になる。ひとしきり会議をしたのち、おさととまいまいが既存の曲で歌うと決めたのは下記の二曲である。
1・ああ、今まで愛してきた人に(Ah! Perdona al primo affetto)
2・わたしは黒髪の方にするわ(Prenderò quel brunettino)
ここでお伝えしたいことがある。
既にお分かりの方もいらっしゃるであろうが、おさとの書く言葉たちにはそれはそれは独特な魅力があるのだ。惹きつけられてやまないというか、読み込んでしまうというか…筆先にまで色香が滲むとこうなるのかなとうっかり思ってしまうのだけど、おさとの歩んできた人生そのものに磨かれてきたものだと思う。彼女の歌う曲の解説は、私たちにくれた言葉をそのまま掲載する。
おさとによる重唱の解説
1・ああ、今まで愛してきた人に(Ah! Perdona al primo affetto)
◆セルヴィリア(S)とアンニオ(MS)
出典:歌劇『皇帝ティートの慈悲』
恋人同士であるふたりは兄(アンニオにとっては友)のセストやヴィッテリア、皇帝周りで起こっていること(王位簒奪、復讐、純のようで歪な愛憎模様)など心配はせども当事者になることはなく穏やかに愛し合っていた。しかしセルヴィリアが皇帝の妃に選ばれたことにより、皇帝を敬愛するアンニオは自らの想いを押し留め、祝福し、任務として彼女へその知らせを届けに行く。残酷な知らせを受けたセルヴィリアだったが、アンニオと愛し合う事を諦めず彼に本当の気持ちを明らかにさせ、改めて愛を誓い合う。きちんと、そのままで、私たちは愛し合いましょう。
2・わたしは黒髪の方にするわ(Prenderò quel brunettino)
出典:『コジ・ファン・トゥッテ』
◆フィオルディリージ(S)とドラベッラ(MS)
箱入り娘。女中にも揶揄(からか)われるかわいいかわいい素直な姉妹。お父様とお母様がお決めになった素晴らしく素敵な私達の婚約者。それなのに、私たちを置いて彼らは戦場へ行ってしまった。不安だわ、心配だわ、死んでしまいたい! ああ、でも、どうせ死ぬのなら、この胸の期待を満たしてからにしても良いのかも。突如ふたりの眼前に現れた異国の魅惑的な紳士に、初めて自分の中の’女’が鼓動する。こんな恋ができたらどんなに楽しいのでしょう??知りたいわ!!
理想がないならこの手で描く
2曲を決めたところで、私たちはフツフツと湧き上がる想いに気がつく。
…新曲を、作る?
この演奏会はとても自由だ。おさとがやりたいことをやるというなら全員やりたいことをやる、そしてそれは大体全てめっちゃいい選択として歓迎される。そんな記念すべきチャンスのラストは、敬愛すべきモーツァルトと彼を愛した2人の女の生き様を描いたオートクチュールで飾りたくないか…?
答えは出ていた。
かくして、私たちはとびきりの新曲を作ることになった。
そのお話は、また次回に。
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