死に損なったのか、生き長らえたのか
過去に私は自殺を計画したことがある。
結果は見ての通り。この場合は読んでの通りの方が正しいだろうか。
少なくともこの記事を書いてる時点では私は生きている。
ちゃんとシン・エヴァンゲリオンを観たし、サウナの日にサウナに行った。HUNTER×HUNTERはまだ休載したままだ。
痛みや苦しみといった問題に対して、時間が解決してくれることは確かにあるけれど、それは考え方が広がったり、行動できる範囲が広がっただけで、痛み全て消化しきったわけではない。
私はあの時の「死にたい」という感情を今もまだ居続けているのを知っている。
そう簡単に消えるものではない。そういうものだ。死を考えるとは冗談なんかじゃない。本気なのだ。本気だからこそ時間が経てども忘れることはない。
傷跡は残り続ける。
つい先日公開された「シン・エヴァンゲリオン」は完結までに14年の歳月がかかった作品で、新劇場版の第1作目である:序が公開された時、私は14歳〜15歳という思春期真っ只中だった。
そして同時に「死」を本気で望んでた時期でもあった。
一度思い出すとこの手のネガティブな感情は一気に心を支配するもので、こうなると止めたくても止まらない。
どうせ止まらないなら全部垂れ流してみよう。そう思って今この記事を書き上げている。
「自殺未遂」「現実逃避」「国外逃亡」の全てを経験した私の中にあるドス黒い塊の一部をここに置いていく。
残念ながら全ては残せそうにないが、可能な限り置いていくので興味があったら読んでみてほしい。
生きることは残酷で、生きることは苦しい
小学生の時、私はいじめられていた。
中学生の時、私はいじめられていた。
高校生の時、過去のいじめの傷に怯えながら過ごした。
大学生の時、自分の価値観が周囲と合わなくて苦しんだ。
社会人になった時、不器用な自分に嫌気がさしてアルコールに溺れた。
今、私はフリーで働いている。組織には属さず、一人で生きれる道を選んだ。
小学生の頃は同級生全員からハブられていた。
元々いじられっ子だった私はあまりクラスに馴染めていなかった。完全に私が悪いのだが自分という存在が自分以外の中にいてほしかったのだ。
だから独りよがりだったのだ。自意識過剰だったのかもしれない。身の程を知れと。そして自己中心的だった。誰かの輪の中に自分もいたいのだ。それしか自己表現ができないかわいそうな子どもだった。
結果として私はハブられた。ウザかったのだろう。
ハブられたといっても最初はかわいいものだったし、私も自分の行動が良くなかったのは子どもながらに理解していたから改善に努めた。
でも共通の敵ができると団結力が上がるもので、私はクラスの敵になることでクラスメイトの精神的支柱となった。自分より下の人間がいるというのは安心する。
一番酷かったのは小5の時。自分を見る目が鋭く怖かったのを覚えている。また、ストレス発散の吐口だったのかもしれない。
精神的にかなり参ったいた。今思えばあの時「死ぬ」とならなかったのは、自分で考えられる楽に死ぬ手段が少なかったことが大きかったと思う。
電車には乗らなかったし、踏切もなかった。交通量も少なくて車もない。高い建物が無いから飛び降りることもできない。
小学生の頃は首を吊ることや自傷行為は知らなかったのも幸いだった。きっと生きてる環境が違ったら死んでいたかグレていたかのどっちかだろう。
今でも傷は癒えていないが、これは理解できない人には一生理解できないと思う。いじめの傷ってのは消えないし、相手を許すことは一生無いと思う。
生きることは残酷だと当時思っていた。今よりも視野が狭い世界に生きていたのだから考えが甘いのは許してあげてほしい。
本当に残酷な世界に対して憎しみの感情を抱いていたのだ。
そんな私がとった行動は現実逃避。
妄想の世界に逃げて、現実世界をシャットダウンする技を会得したのだ。
その時一緒に冒険した相棒は今でも私の手元にある。
正直、一生手放せないと思う。
あの時私を救ってくれた小さな友達よ。ありがとう。
苦しんで死んでも意味がない(私は楽になりたいのだから)
中学生の頃は「嫌なあだ名」を付けられた。いじめは陰湿ないじめにシフトした。
最初は目に見える形でいじられた。あれはしんどかった。一番しんどかったのは自分といるのが嫌で相手が泣き出した時だ。何もしていないし、そもそも関わりがない相手に一方的に嫌悪感を抱かれ、存在していることが無理だと言われた時はちょっと笑えたほどだ。
容姿に対して簡単に悪態をつく人がいるが、あれは想像以上に相手を傷つける。直そうという努力はしたが、結局容姿は整形以外何ともならない。
顔が濃いって理由で散々いじられた時は「生きるの無理じゃん」って思った。また体型とかの方がマシだ。努力で何ともならない壁ってのは笑えない。
いじめられたことがない人には理解できないと思うが、直接的ないじめよりも陰口からくる陰湿ないじめの方が精神的に参る。
「自分が存在していない」まま進む日常は恐ろしいもので、自分が生きている理由が見出せずに「死にたい」と毎日願っていた。
私はなぜ自分がこの世に生きているのか不思議で仕方なかった。
度胸のない私は相手を殺したいほど憎んでたのに、結局何もできなかった。正直自分が情けないと思うこともある。
この時、自殺しようと考えて毎日死に方を模索していた。きっかけさえあれば死ぬ寸前。
電車に飛び込もうと模索したことがある。でも私が飛び込む前に飛び込み自殺が地元で起きた。私は怖くなって止めた。
橋から川に飛び込んだら死ねるかと思ったこともある。でも私は泳げるし、そこまで深い川もなかったから止めた。一回風呂で潜った時に苦しすぎて「なんで死ぬときに苦しむ必要があるんだよ」と思ったのも大きかった。
睡眠薬とか飲めば死ねるかと思って風邪薬を大量に飲んだことがある。でも死ななかった。やっぱ毒とかじゃないとダメなんだと学んだ。
リストカットは死ねなさそうだと思ってやらなかった。体を殴りつける癖はあったけど、切り刻んでも痛いだけだと思って止めた。頸動脈を切る勇気もなかった。
結局私は楽して死にたかったのだ。図書室で読んだブラックジャックで知った安楽死のように死にたかった。苦しんで死んでも意味ないと思っていたし、死ぬときは快楽の中で死にたいと思っていた。
そして、最終的に死ぬことがなかったのは、周りが大人になって私に関心が無くなったからだろう。私という人間自体に関心を持つことを辞めたことで「嫌悪感」が消えたのだと思う。
また、「外の世界」を知ったことも大きかった。
学校以外には居場所があるかもしれない。
これだけが私の生きる希望だった。
結果的に毎日死のうと思ったし、自殺の計画も覚えているだけで10回ほどは実行手前まで移したけど死なないで今日を迎えている。
生きながらえたのか、死に損なったのかは今でも分からない。
でも苦しんで死ぬのは勘弁だ。どうせ死ぬならね。
死に損ねたことで生きながらえたけど、心の傷は癒えなかった
高校生になった時、初めて環境が変わった。環境が変わって気づいたのが自分の性格がねじ曲がっていたことと、対人への恐怖心があり悲惨だった。
人と絡むのが下手で、どうすれば友達ができるのか分からなかった私は苦労をした。この苦しみは今も残っている。「嫌われることに対する恐怖心」が強く、相手の態度の変化にはかなり敏感になっていて、かなり臆病になった。
そして自分を強く見せようと必死になった。
虚構の自分を作らなければ耐えれない精神状態だったのだ。でもこの虚構の自分には助けられもした。色々な体験ができたのもコイツのおかげだ。
国外逃亡をしたのは社会人になった時が最初だけど、それは虚構の自分が私に「もう無理だ」とサインを出したことがきっかけだった。
私は誰にも言わずに日本を出た。
苦しみを知らないなら軽々しく「分かるよ」と同情してはいけない
私は人間関係を構築することが苦手なのだと思う。
自分を前に出すのが苦手なのに表面上は大丈夫な風に見せることで生きてきた。生きてきてしまった。
実は今でも「死のうかしら」と脳裏に浮かぶことがある。でも私は死ねない。死んでも何も変わらないことを学んだからだ。
私より苦しみもがき死を選んだ方の行動を見ると私は胸が熱くなる。
その選択をすることは様々な葛藤の中、もがいて苦しんで生きた結果だと知っているから。
自殺を推奨する気はないし、自ら死ぬのは良くないと思っている。
でも自殺に対して「死を本気で考えるほど苦しんだことがない奴が綺麗事を言うな」とは思う。
「苦しみ」を理解することは難しい。
同じ痛みを持つもの同士でないと理解できないだろう。
だからこそ軽々しく「分かるよ」とか言ってはいけない。
同調は時に人を殺す。
私は今まで自分がいじめられていたことも、自殺を計画していたこともちゃんと話したことはない。
気軽に「同調」でもされたら次こそ本当に死ぬかもしれないと思っているからだ。
でもnoteに書いてみようと思ったのは「それでも死なないだろう」って何となく確信をえられたから。
だからここに私の一部を残しておく。
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