![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/44337482/rectangle_large_type_2_b415824290fa3c692c8eb80582c14200.png?width=1200)
サウナ室での会話について考える|「サウナ=静寂」は正義なのか?
サウナにおける会話について
「サウナ室での会話はマナー違反である。なぜなら、迷惑だからだ」という意見をよく耳にすることが増えました。
私もサウナ室は静寂である方が好きだが、だからと言って会話そのものに対して「マナー違反」として取締る方々はやりすぎではないかと思う。
(2021年1月31日現在ではコロナの流行もあり、会話をしないことはマナーであることはもちろん承知しています)
時期を問わず、サウナイキタイの様なレビューサイト、TwitterなどのSNSではこの様な内容の投稿をよく見かける。
「若者2人組が小声でヒソヒソと話していて大変迷惑極まりない」
「サウナ室内で会話をしている不届き者がいる。小声でも会話は厳禁だ」
「子どもの声がうるさい。浴場は静寂であるべきなのに」
⇨故に「ととのえない」「ストレスがたまる」「気分が悪い」
もちろん、2021年現在では「新型コロナウイルス」の感染対策として「会話禁止」であることは守べきマナーでありエチケットなので現在においては「迷惑」であることは間違いない。
間違いないのだが、上記レビューは「コロナウイルス」という文脈に則った意見ではなく、個人的感情が占めていることが多い。
迷惑な理由が「自分が気持ち良くなれない」だからだ。
2020年以前に関して上記の様な発言をしている人は「理想の押しつけ」なのではないだろうか?
そしてコロナウイルスが落ち着いた頃、サウナ室内での会話はどの様な位置付けになるのだろうか?
サウナ室での会話はそもそも禁止であるべきなのか?
現在は「新型コロナウイルス」の感染対策として「会話禁止」のサウナが多いが、それ以前では「大きな声での会話は禁止」程度で会話そのものは禁止されていなかった施設が多かった様に思える。
もちろん、以前より会話厳禁のサウナはあった。
しかし会話そのものを禁ずることは、本当に正義なのだろうか?
「サウナの持つコミュニティ性について考える」や「なぜサウナ室では音に敏感になるのか?|サウナと音の関係性を考察してみた」でも述べたが、温度が高くなればなるほど音は速く伝わりやすいという特徴があるため、サウナ室内では通常よりも声が聞こえやすい特性がある。
サウナ室には音の伝達を妨げる要素がほとんど存在しないため耳に音が届きやすくなることから音に敏感になると考えられる。
そのため「サウナ室では会話に対していつも以上に意識してしまう」と考えられる。
しかし、会話が耳に届きやすいからと言って、サウナ室での会話を厳禁にする直接的な理由にはならない。
よく会話を厳禁とする理由に「サウナ室は静寂であるべきなのは本場フィンランドも静寂だからだ」という主張を見かける。
「サウナでは教会にいるような気持ちで入る」という格言がフィンランドにはあり、この「教会にいるような気持ち」に「静寂」「祈り」「神聖さ」というイメージを抱き、サウナ室は「神聖で紳士的な場所であり、静寂の中、自身と向き合う場所なのだ」という主張から「サウナ室は静寂であるべき」という思想が生まれたのではないかと仮説が立てられる。
私自身フィンランドへ行ったことが無いため本場フィンランドのサウナ室が「静寂」なのかを確認したことはない。また、現状直接確認しに行くことも困難な社会情勢であるため、実際に体験した人によるフィンランドでのサウナ事情についてサウナブログをもとに考察をしてみる。
サウナ体験を読むとフィンランドでのサウナ事情は大きく分けて「サウナは静寂を楽しむ」と「サウナは会話に溢れていた」という2つの感想に分類されることに気づいた。
前者はいわゆる伝統的なサウナで、都市型ではなく湖を水風呂とするサウナ小屋で行われるサウナが多く、後者はヘルシンキなどの都市にあるパブリックサウナで多い意見であった。
そして前者でも「テレビやBGMが無い静寂」とあるが、会話がないわけではなく、コミュニケーションが起きていることを記述している。
ここで実際にフィンランドサウナを体験しているサウナーの言葉を参照にフィンランドのサウナ事情をより深く考察してみようと思う。
「サウナ室では教会にいるようなつもりでいなさい」という言葉があります。サウナは特別な場所で、日常から離れた場所。文化的な空間であり、「サウナ室内では本音で語り合う」と言われるようにメンタルと密接に結びついた場所なんです。
withnews「世界のサウナ事情「日本とドイツだけ異様」二極化するスタイルとは?」より抜粋
サウナは静寂を美徳とする場所である……という考え方も古くからありますが、現代のフィンランド人は、むしろサウナ浴中におしゃべりするのが大好き。フィンランド・サウナ室特有の薄暗さや、リラックスした心地につい気を許してしまうのか、たわいない雑談から、普段はあまり積極的に話せない類のシリアスな本音や相談ごとまでが、サウナに居座るうちに、とつとつと口をついて出てくるのです。
〜〜中略〜〜
フィンランドでは、知人であれ他人であれ、同じサウナ空間に居合わせた者同士はみな「運命共同体」のような存在。やかましく騒ぐのはご法度ですが、とはいえ互いに一言も言葉を交わさないほうが、むしろ異様に感じます。余談ながら、日本のサウナ室にテレビがあって、みんながそれを無言で眺めている光景は、日本を訪れたフィンランド人にとっては相当愉快に映るようで、彼らが土産話をする際の鉄板エピソードです
サウナキタイ「[連載] 公衆サウナの国 フィンランド 前編「日本のサウナとこんなに違う」」より抜粋
今やフィンランド式に慣れた者の視点からすると、日本のサウナの価値を下げてしまっているのは残念ながら、備え付けられているテレビ画面の存在だと思います。僕にとっては、自分で見たくて選んだ訳でもないチャンネルを見せられる苦痛の方が、サウナの暑さに勝ります。
フィンランド人にこの話をすると、不可解な目で見つめられるんです。「サウナは一日の疲れを癒したり、静寂を味わったり、家族や友達との会話を楽しむ場所なのに、どうしてそこでみんなでバラエティ番組なんて見なきゃいけないだ?」と。正直、僕も昔からずっとそう思っています。
〜〜中略〜〜
社交面、この点において、フィンランド式サウナが、テレビでガヤガヤの日本式に少し秀でているのではないかと思います。静寂なので会話が起きやすいし、ロウリュでお互いに一声かける時が会話の糸口になる場合が多いです。
Slowland「フィンランド式サウナの美学」より抜粋
フィンランドスキスキ♡な感情が止まらなくなってしまった私はヘルシンキ市内へ戻り、ヘルシンキの中でも最も歴史のある「Kotiharjun Sauna」というところへやって来ました。
〜〜中略〜〜
ムンムンとしたサウナ室の中で座って楽しんでいると、ぞろぞろ地元のおっちゃんたちがやって来ました。フィンランド語で何喋っているのか分かりませんが、ワイワイ楽しく世間話をしていて、なんだか微笑ましい。
Shiftall blog「露天や公衆、“映え”に空港内まで。本場フィンランドで個性豊かなサウナ巡り【12日目】」より抜粋
さらに玄関前だけではなく、利用客のにぎやかな声が中からもれ聞こえてくる……。更衣室、そしてシャワーからサウナ室まで。ここはパーティ会場かと間違えるほどにぎやかで、その場の雰囲気にただ圧倒される。サウナ・アルラにおいても薄々感づいてはいたが、『サウナ室は神聖であり、教会のように振る舞う』という、どこかで耳にした格言は人々の声にかき消されていった。
〜〜中略〜〜
「サウナ・アルラ」でもそうであったように、フィンランドの方々は気さくで親切で、”ととのい”はなくとも、楽しく過ごせる場が本場のサウナである。そんな風に思い始めた矢先だった。
「ところで、ニッポンのサウナで目にした光景なんだけど」
日本のサウナをこよなく愛する筆者にとって、耳を疑うような言葉が続いた。
「なぜ、ニッポンのサウナ室はあんなに静かなんだい?」
「スピリチュアル的な何かがあるのか?」
「サウナというのは、気心知れた人達と、にぎやかに会話をする場だろ?」
「………………」(筆者)
&M「イメージとは全然違った!? フィンランドで挫折を味わった夜。本場のサウナ体験レポート」より抜粋
ところがサウナで普通に会話するのすら“マナー違反”だとまでいう人がいるワケ。だいたいそういう人はフィンランドの格言の『サウナに入る時は教会に入るような気持ちで』ってのを持ち出すんだよね。教会でオシャベリするか? みたいな。
でもフィンランドの人ってサウナでメチャクチャしゃべるんだよなァ。
〜〜中略〜〜
ちなみにオレが一緒にサウナ入った中で一番オシャベリだった人は、銭湯サウナの常連オヤジでもなんでもなく、フィンランド人で“キングオブサウナ愛”と呼ばれる、そして当人も「サウナは教会に入るように……」っていってる国際サウナ教会のリスト・エロマ会長でした。
@DIME「なぜ、銭湯のサウナにいる常連オヤジの話はこうも面白いのか?」より抜粋
サウナに関しては、特に絶対的なルールというものがありません。それは、それぞれの場合で異なるのです。もっとも重要なのは、リラックスして周りの人と話すこと。少し飲んで、身も心も浄化された素晴らしいサウナの後のフィーリングを楽しみましょう。
VisitFinland.com「初心者のためのサウナ講座- 10のヒント -」より
いくつかのサウナ体験記を元にフィンランドのサウナ事情を見ると本場フィンランドではサウナ室での会話は当たり前のように存在しており、会話自体を厳禁にしている施設は少ないとのこと(禁止している施設もある)
「サウナ室は静寂である」という考え方もあるそうですが、多くは伝統的なスモークサウナや湖に面するサウナ小屋で見られるようで、静寂さのなかで「会話は厳禁」というわけではないと見られる。
本格サウナドキュメンタリー映画「サウナのあるところ」の監督へのインタビューで「静寂を楽しむ」という発言もあることから、静寂もサウナにおける重要な楽しむ要素であることは見受けられる。
ー映画を観て、ますますフィンランドに興味が湧きました。フィンランドのおすすめのサウナや、それ以外でもこういうことを楽しんでほしいなど、ぜひ教えてください。
ミカ:おすすめは、もちろんスモークサウナです。あと、湖の周辺にあるような薪式のサウナには入っていただきたいですね。
ヨーナス:フィンランドでは、場所というよりも文化を体験していただきたいです。なので、フィンランド人と知り合って交流をしてほしいです。おすすめは1週間ほど滞在して、半分をヘルシンキ、もう半分を自然が豊かなラップランドで過ごしていただきたいですね。
そして、ラップランドでは「静寂」を楽しんでください。個人的にとても好きなのが、2月の気温がマイナス35度ぐらいの中、サウナに入って外に涼みに出たときの、全く音が聞こえない完全無音の状態。それを体験してほしいです。
TimeOut「サウナマン まっちゃんが聞く、フィンランドのサウナ事情」より抜粋
「静寂を楽しむ」ような場合においては確かに「会話」をすることは野暮である。時と場合においてサウナでは「静かでいること」をマナーとすることもあるそうだ。
「教会に入る気持ち」というのは「会話をするものではない」という意味ではなく、心構えであると思われ、おそらくこの感覚は教会が身近ではない日本人には正確に理解することは出来ないのかもしれない。
日本人における教会は「神社」や「お寺」が当てはまるが、そのイメージを当てはまると「静寂」にするべきという認識になるため、おそらくその印象も「サウナ室は静寂であるべき!会話は厳禁!」という主張につながっているのかもしれない。
日本におけるサウナ室でのコミュニケーション
日本人は「静寂」「孤独」「瞑想」という言葉に惹かれる。騒がしい街のノイズや煩わしい人間関係から解放された静寂で孤独な場所での瞑想に憧れを抱き、その状態に対して価値を感じていると想定される。
サウナに通うようになって気づいたことに「日本ではサウナには個人で行く」傾向にあり、グループは以外にも少ない。グループも2人〜3人の少人数であり、団体で行くことは見かけることはほぼない。
サウナ室での会話が「耳障り」に感じやすいのは、サウナ室内にいる人のほとんどが個人であり、会話をする環境にいない人がメインであることは大きな要因であると仮説すると、サウナ室内での会話をマナー違反とする認識が広く浸透しているのは「会話をする人が少数だから」なのではないだろうか?
私の予想では、サウナ室では会話厳禁!とする人も仲の良い親友とサウナへ行けば会話がしたくなり、会話を我慢する方が苦痛だったりするのではないだろうか?
私もサウナへ行く時は一人であることが多く、一人でいる時は静寂を求める傾向にある。しかし、誰かと一緒にいる時は会話を楽しみたいと思っていることは事実で、小声で会話を楽しむこともある。
会話そのものをマナー違反とすることは「サウナの息苦しさ」を生み出し、サウナ文化に対して「めんどくさい」という認識が生まれてしまうかもしれない。「サウナ室では会話をしたくなる」という環境に対して禁止をすることはストレスを生み、長い目で見ると会話厳禁はサウナ文化の衰退を生む可能性がある。
逆に、サウナで静寂を楽しむというのは特別なサウナ体験であるため、「静寂」を売りにしたサウナ施設の価値が上がり、新たなサウナ文化の発展に繋がる可能性もあるのだ。
知らない人と会話をすることを好まない人が多いこともあり、フィンランドのようなコミュニケーションの場としてのサウナは難しいかもしれない。しかし、サウナ室では会話をしたくなるという環境なのも事実であり、会話そのものを禁止することは毒となる。
全てのサウナ施設において「静寂」を要求するのではなく、施設側が「サウナ体験」としてうまくコントロールしてあげることが重要なのではないかと私は考える。
利用者により自主性も重要ではあるが、「静寂」のように個人の好みでもあり、個人のさじ加減によって度合いが変わる領域においては施設側で設定してあげることが必要になる。
ちなみにサウナ室でのコミュニケーションは重要だと思うが、会話をすることは騒ぐことではない。
勘違いされがちだが、騒ぐことは自分本位であり、周りに迷惑をかける可能性がある。
大切なのは自分が嫌だと思わない声のボリュームで会話を楽しむこと。
相手の気持ちを考慮して、ストレスが感じないようにコミュニケーションを楽しめるようになるのが理想である。
いいなと思ったら応援しよう!
![S.Uto](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/70285104/profile_bbb27d80062be5c1bd8fe6885477b0c8.jpeg?width=600&crop=1:1,smart)