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哲学者にでもなりたいのだろうか?
最近気が付いたことですが、暇さえあれば哲学的なことを考えていました。厳密にいえば『哲学』という単語が正解なのか微妙なところですが、「なぜ自分の自我はこの体に入っているのだろうか」「一つ一つの単語の意味」みたいなことを考えています。
今朝もウォーキング中、おそらく車に敷かれてしまったのであろうヨロヨロ歩いていたカマキリを見て、「たぶん、このカマキリに痛いという感情もはないんだろうな。なぜヒトは余計な感情を生み出したのだろうか」と無意識に考えていました。
中学生の間は、「目を瞑っている間はみんなスライムみたいなもので、実在していない」とか「この現実は宇宙空間かどこかで見せられている夢だろう」みたいなことを考えていた時期もありましたね。空想が過ぎます。
あなたは人間ですか?
「人間」という言葉はおかしなものです。
人の間と書いて人間。わたしたちは自分のことを人間だと言いますが、直訳すると「人間とはただの空間のこと」ですので、人間ではないんですね。
実は哲学の集いみたいなものにも参加したことがあって、そこで「人間」の話題になりました。ようやく言葉を話せるようになった子どもに「君は人間かい?」と尋ねると、「違う、ぼくは〇〇(その子の下の名前)だよ」と答えるそうです。
わたしたちは、人間でもヒトでもピテカントロプスでもなく、名前でできています。わたしは「ゆう」であって人間ではありません。
では、決まった名前を持っていないヒト以外の動物はどうなんでしょう?
という話題になるんですよね(笑)
わたしの勝手な妄想では、自我を持っていないのではないかと思うこともあります。さすれば、同姓同名の場合は説明が付かないですし、動物にも個性があると聞きますので、それぞれに自我はあるんでしょうけど。
もしかすると、動物にもそれぞれの名前があるのかもしれません。わたしたちにはわからないけど、個々に親が名付けているのかもしれませんね。
法律
過激な発言に聞こえるかもしれませんが、こういう話もあります。
「人を殺していけないという法律はない。人を殺したら懲役〇〇年という法律があるだけ」
もちろん、人を殺すなんて考えるだけでも言語道断です。あくまで言葉遊び感覚で考えてくださいまし。
江戸時代は、もっと言えば第二次世界大戦が終わるまでは普通に殺し合いが行われていました。今でも戦争をしている国はあります。そういう世界線においては、人を殺すことで「英雄」になる場合もある。不思議なものです。
「人を殺してはいけない」という法律があっても、残念ながらそれを犯す人は少なからずいるでしょう。そして、自殺も人殺しですよね。自分を相手にした人殺し。「人を殺してはいけない」という法律を定めると、自殺も犯罪行為にノミネートされます。興味深くなってきました。
自殺した人を裁くことはできませんが、「自殺も犯罪行為である」という認識を広めるだけでも抑止効果になりそうな気もしますがどうなんでしょうか。わたしは自殺すると地獄に行くということを信じているので、仮に死にたくなっても実行する気にはなれません。死んでまで地獄を見るのは嫌ですから。
終わります
こういう話はけっこう持っていますが、文章にするのは難しいですね。対話の上で成り立つものだと思っているので、ネット上に出すのは控えておきます。書いているこの時間も色々と考えてしまいますし……。
正直、こういったことを考える癖はなくしたいです。それよりも地に足付いたことを考えたい。どうも現実逃避をしているような気がするんですよね。
でも、それすらもよくよく考えると「本当の現実とはヒトが生きる意味を考えることではないか」とまで思ってしまい、抜け出せません。だから、ゲームをしたり、仕事をしたり、本を読んでいる時間が一番落ち着けます。ぼーっとするとついついこういった答えがないことを考えてしまうのでね。
はあ。
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