5分でわかる神道と儒教の違い! 天皇機関説と天皇主権説
神道には教義がない。
天皇を尊重しろというものは、立憲君主制の肯定であるが故に、単なる民主主義的な社会通念であって、教義であるとは言えないのだ。
そもそも、天皇はローマ教皇のように、人間を戒律で縛っている存在ではなく、権威主義的な存在ではない。
天皇を宗教権威と述べる日本人は、実は宗教について何も知らないと自白しているだけなのだ。
宗教は教義を持つものであって、その表層よりも教義に注目しなければならない。
カトリックとプロテスタントは、教義の違い故に別の宗教であって、実は宗教としてはカトリックとイスラムの方が類似性が高いのだ。
大正時代に、天皇機関説というものが成立し、十七条の憲法の時代から続く日本の民主主義は、近代的理論として確立されることになった。
しかしながら、これは天皇主権説という理論に攻撃され、それが原因で戦前日本の民主主義が崩壊し、太平洋戦争に向かうこととなった。
さて、天皇機関説と天皇主権説を比べてみよう。
天皇機関説
天皇は国家の最高の権限を所有していても、それを行使することが出来ず、行使するのは議会である。
(これは、ある意味で天皇を問屋とする理論である。)
天皇主権説
天皇は国家の最高の権限を有していて、議会を無視してそれを行使することが出来る。
実は、日本の歴史において、天皇が直接に政治権力を行使した時間は殆どない。
公家や武家や豊臣秀吉が、政治的実権者であったことは言うまでもない。
こうした史実に反した観念を教義とする天皇主権説は、実は儒教における天帝思想と類似したものであって、これは日本古来の伝統に基づいた思想ではない。
そもそも、神道において、天皇の祖先とされる神は、軟弱な引きこもりで、とてもではないが政治権力の行使に耐えられる神ではなかった。
太平洋戦争の中の国家神道とは、天皇主権説を使った神道に偽装された儒教であって、所詮は国家儒教とでも呼ぶべきものに過ぎない。
つまり、太平洋戦争が起きた原因は、「やまとこころ」の神道に存在するのではなく、「漢意」という儒教に原因があるのだ。
太平洋戦争の時代の日本は大陸に領土を拡張していたが、思想面においても大陸化して、日本古来の美風を失っていた時期でもあった。