「自己受容」と「自己肯定」の違い(アドラー心理学)
おはようございます!さて、今日も「アドラー心理学」について、特に重要概念である「共同体感覚」を理解するための一部である「自己受容」について書きます。
共同体感覚とは、自己への執着を他者への関心に切り替え、共同体に貢献できているんだという感覚を持つことです。難しいですが、手ほどきとして、まず「自己受容」の理解が必要になります。
「自己受容」とは、ありのままの自分を認めてあげることです。僕たちは「わたし」という容れ物を捨てることもできないし、交換することもできません。大切なのは、等身大の「わたし」という存在に対する見方を変え、自分にしかない価値をどう使っていくかを考えていくことです。アドラーはいいます。
大切なのは何が与えられているのかではなく、与えられたものをどう使うかである
と。
これは決して、ポジティブに、自分を肯定することと同意ではありません。自己肯定とは、出来もしないのに「僕はできる」「僕は強い」と自らに暗示をかけることです。自分に嘘をつく生き方です。
自己受容は、「できない自分」をありのままに受け入れ、なるべくできるように前に進んでいくことです。自らに嘘をつくものではありません。仮に60点だとして、「100点なんだ」と思うのが自己肯定であり、60点を受け入れ「61点、62点と100点に近づくにはどうしたらいいのかな」と考えるのが自己受容です。
特に教員は100点を、完璧を、求めがちです。自分に対しても、他者に対しても。全部100点なんて無理なんだという思考を持っていないと、しんどくてたまらないし、円滑な人間関係なんて築けないでしょうね。
じゃあ、どのように考えれば自己受容できるようになるのか?
筆者は「肯定的なあきらめ」が必要だと言います。「変えられるもの」と「変えられないもの」を見極め、「変えられないもの」に注目するのではなく、自分の力で変えていける「変えられるもの」に注目する。
僕の身長や顔などの容姿、「いやだ」とか「辛い」「悲しい」などの率直に感じてしまう情念的な感情は変えられません。でも、考え方や価値観は変えられます。ありのままの僕を受けれいる。変えられるものについては変えていく。そんな勇気を持つこと。これが自己受容です。
これもまた、アドラー心理学が「勇気」の心理学と呼ばれる所以でしょう。