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情報社会との付き合い方【遅いインターネット】
おはようございます、生憎の雨模様ですが、ちょっとドライブして、ユニクロで夏っぽい靴下でも買おうかと思っているやうたです。
さて、今日は「遅いインターネット」(宇野常寛)を読んで思ったことを書きます。
ほとんどの方が、コロナの影響でインターネット環境を通じてでしか、他者と関わる、関わらざるを得ないという時間を普段よりも多く過ごしていると思います。
例えば、Twitterでタイムラインを流し読んで、時には気になる呟きにいいねしたり、リツイートしたり、リプを返すことだってあると思います。LINEだったら、親しい人から来る返信にすぐ既読をつけたり、すぐ返信したり、相手からの返信がかえってこないなと気になったり、しちゃいますよね。
この頃、僕はまるで自分という存在の中心が「インターネット環境」のなかにしかないんじゃないかと思ってしまうことがあります。それは筆者も指摘しており、Twitterのような不特定多数の人がつくる論調に乗っかったり、LINEの既読を待つ人はこの人にだけ認めれれたらいいやと思ったりすることで、自分の存在を認識しようとしています。他者の中で折り合いをつけようとしているに見せかけて、自分が、自分がになっているんですよね。
じゃあ、どうすればいいのか?
単純にTwitterで流れてくる情報やLINEのやりとりに、すぐに「いいね」やスタンプを返すのではなく、情報にアクセス、レスポンスする時間、情報に対する自分の立ち位置、どのような角度から、どのような視点でを意識して、アウトプットしていくのかという決定権は、本来自分の手元にあります。筆者は言います。
情報に対する速度を、距離感を、進入角度を、自分が、主体的に自由に決定すること。この快楽を、僕はたくさんの読者に共有してもらいたいと思っている。
これが、現代の情報社会を豊かに過ごす術だと思います。ここで重要になるのが「遅いインターネット」という概念です。情報に対する反応はゆっくりでもいい。ただ他者に流され、ただyesかnoか、1か0かでは豊かではなく、自分なりの時間をかけて、自分なりに立ち位置を決めて、そして自分なりの発信をする。そして、また情報を受信して、ゆっくり発信していく。一見、今のインターネットの速さについていけなさそうですが、インターネットは本来使うべきで、振り回されるべきでないことを自覚しないといけませんね。