悠楽神道

三重県の神社の宮司です。神道や古典について書いていきます。 ◯和田神社   亀山市和…

悠楽神道

三重県の神社の宮司です。神道や古典について書いていきます。 ◯和田神社   亀山市和田町1168 ○忍山神社(サルタヒコ最古の神社)    野村4-4-65 ○須佐之男神社   川合町565-2 ○若一大神社   井田川町699-3 ○神明社   井尻町1064-1

マガジン

  • 和歌から『とはずがたり』を読む

    『とはずがたり』の和歌を取り上げ、登場人物たちの心情を読み解いていきます。

  • 神道者に学ぶ神道

    神道者、それは神道を生活の基盤として篤く信仰する人たちのこと。彼らから神道とは何かをを学び、日々の生活を豊かなものにしていきましょう。

  • 山県太華『非聖弁』

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原典(情報源)を読む大切さ 吉田松陰「夢なき者に理想なし。…」は本当に松陰の言葉か? ―フェイクニュースに騙されないために―

原典=情報源(ソース)にあたるべし吉田松陰の言葉としてビジネスの研修でよく取り上げられるものがあります。それは、 です。 聞いたことがある方も多いかと思います。 では、この言葉の出典はなんでしょうか。 答えられる方はいらっしゃらないはずです。 紹介している本や記事等にも出典先は書かれていません。出どころがどこか示されないまま紹介されています。 この言葉は吉田松陰全集に掲載されていません。また、当時「夢」といえば寝ているときに見る夢であり、志を指すことはありません。では

    • 忍山神社のホームぺージを開設しました。

      ↑私が宮司を務める三重県亀山市御鎮座の忍山神社のホームぺージを昨日開設しました。(表記揺れ等あります。申し訳ございません。) ◯忍山神社は、社伝によると崇神天皇7年に勅命により猿田比古命(猿田彦命)をお祀りする神社が建立されました。 猿田比古命をお祀りする最古の神社です。 ◯また、倭姫命が伊勢遷行の際に、神社のある地域を治めていた忍山宿禰の館に半年間滞在されました。その後天照大御神をお祀りする神社(元伊勢)を建立しました。 上記の猿田比古命をお祀りする神社と天照大御神を

      • 和歌から『とはずがたり』を読む7

        和歌13 著者(父の死を嘆きて) いよいよ著者の父の最期です。  父は、幼少より仕えていた仲光とともに1時間ほど念仏をしました。まだ念仏の途中で眠ってしまった父を著者は起こします。  すると、父は目を覚まし著者の目をじっと見て、 「なにとならんずらん(私が死んだ後あなたはどうなるのだろうか)」 と、著者の行く末を案ずる言葉をかけて亡くなります。  時は文永9年8月3日、午前7時過ぎ。享年50。  著者は、最期の最期で声をかけてしまったことを後悔します。念仏を唱えながら安らか

        • ―神道にユートピアはない― 國學院大学元学長 上田賢治 氏

          「神道にユートピアはない」 そんなことを言われて貴方はどう感じるでしょうか。夢がない、救いがない…つらすぎるくない?……… 私もユートピアはないと感じていますが、今回ご紹介する上田賢治さん〈以下敬称略〉とはそのアプローチの仕方に違いがあるので、私の考えはまたの機会に述べましょう。 今回の参考文献は、上田賢治『永遠の創造 神道の力 人間を超える力とは…』橘出版 昭和63年  https://amzn.asia/d/ceUcMUL  です。 ◯神はいのちのちから よく、

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        • 和歌から『とはずがたり』を読む
          7本
        • 神道者に学ぶ神道
          2本
        • 山県太華『非聖弁』
          2本

        記事

          姉と弟で提灯練り

          姉と弟が仲良く神社へ提灯を持ってお参り。 #夏の1コマ

          姉と弟で提灯練り

          ―神道は「いのちの信仰」である―  住吉大社元宮司 真弓常忠氏

          さて新シリーズとして、神道を篤く信仰する「神道者」を取り上げていきます。「神道者」とは、神道を生活の基盤として篤く信仰する人物のことです。また、神職のことも指します。 初回は、大阪・住吉大社の元宮司の真弓常忠(まゆみ つねただ)氏をご紹介します。〈以下敬称略〉 私は学生時代に実習先の住吉大社で一度だけお会いしたことがあります。確か、カレーがお好きだったはず… 真弓は神道を「いのちの信仰」と表現しています。日本人は自然を神として崇め祭ってきましたが、それは「自然が生命をは

          ―神道は「いのちの信仰」である―  住吉大社元宮司 真弓常忠氏

          和歌から『とはずがたり』を読む 6

          和歌11 大納言(著者の父)→後深草院◯著者が後深草院のことを受け入れた後、後深草院の父の後嵯峨院が病気のため崩御しました。著者の父の大納言は後嵯峨院への忠誠心が大変篤い人物で、後嵯峨院の死を受けて出家することを望みました。しかし、後深草院は許可を出さずにいました。 そんなこんなしている内に、大納言が病気にかかりました。著者は不安にかられている中、後深草院の子を身ごもったことがわかります。しかし、病気の父に言い出せません。すると父は、著者が身ごもったことに気づきます。ここで

          和歌から『とはずがたり』を読む 6

          異伝が多い日本神話。いかに読むかで度量の広さが試される。

          とっても久しぶりの投稿です。とはずがたりの和歌紹介は後日復活させるとして、今回は日頃私が疑問に思い、どうやって消化・紹介すればいいのか悩んでいることについてです。 それは、日本神話に異伝が多いということです。私は神社の神職として、ご参拝の皆さまに御祭神や日本神話についてお話ししています。その時、どの言い伝えを話し、また省略するのかということを考えています。 例えば、神道において日本の総氏神様としてお祀りする天照大御神。この神様は、古事記では伊邪那岐神(いざなぎのかみ)が黄

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          『問はず語り』を和歌から読み解く5

          和歌9 院→著者かくまでは思ひおこせじ人しれず見せばや袖にかかる涙を (こんなにあなたのことを恋しく思っていても、あなたは気づかないでしょう。ああ、こっそりとあなただけに見せたいよ。涙で濡らした私の袖を。) 前回、初夜のあと著者は後深草院に御所へ連れてこられました。それから10日ほどが経ち、院は毎晩著者を抱くためにやってきました。 著者は「煙の末」などの言葉を贈った恋人の実兼のことを思いつつも、院に抱かれている優柔不断な自分に対して自己嫌悪になってしまいました。 そして

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          吉田松陰と論争した朱子学の大家 山県太華『非聖弁』3

          太華は、聖人の行いは天の理と同じであるので、これを批判することなどできないと主張しています。これは、吉田松陰から見れば「聖賢に阿(おも)ねる」=聖人の言行に迎合するものでした。 松陰にとっての聖人とは、あくまでも人間であり無条件に崇拝する対象ではありませんでした。 原文 易の繋辞中庸の書など皆天と聖人とを合はせ説くこと弁別し難きが如し。此れ実に聖人の徳天と斉しきゆえに後の聖賢よく是れを知りてかくの如くは説き玉へるなり。然れば聖人の為し給へることは一毫も天理に違ひたることある

          吉田松陰と論争した朱子学の大家 山県太華『非聖弁』3

          吉田松陰と論争した朱子学の大家 山県太華『非聖弁』2

          一日客余を芸窓に訪ひ、一篇の文を出して是を示して曰、「此れ我が邦近世の人の著作にして堯舜湯武より孔子に至るまで群聖人を歴詆せる文なり。我れ聞く、聖人は道徳の宗万世の師にして其の聡明睿智類を出萃を抜き得て間然すべからざる者なりと。然して今口を極めて是れを醜罵するは、実に非議すべき所あるにや。子は聖人の道を以て教へとする者なり。庶幾は我が為に是れを明弁せんことを。」 余が曰く「我れ聖人に非ず。いかんぞ能く聖人を弁ぜんや。中庸に聖人の道を説き是れに継で曰く、『苟も固とに聡明聖知天の

          吉田松陰と論争した朱子学の大家 山県太華『非聖弁』2

          保守の源流 山県太華『非聖弁』 吉田松陰と国体論争した大先生1

          山県太華 萩藩校明倫館の学頭。朱子学者。徂徠学派だった明倫館を朱子学に転向させた。養子の山県半蔵(のち宍戸璣)は吉田松陰とともに玉木文之進の松下村塾で学んだ。吉田松陰と国体論で論争。 幕藩体制の維持を模索した人物で、吉田松陰とは皇室・幕府のあり方等で意見を異にしたが、その識見と人格には吉田松陰も敬服していた。 保守とは…保守とはなんなのか。一体何を保持し守るのか。時代によって変わるものなのか。 太華は幕藩体制の維持を模索した点で、幕末当時の保守派といえる。また吉田松陰は

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          『問はず語り』を和歌から読み解く4 お持ち帰りされながら

          和歌8 作者の心の中鐘の音におどろくとしもなき夢のなごりも悲し有明の月 訳 鐘の音で起きたのではなく、ただただ夢の中のような愛の名残に切なく思うの。有明の月が出てる。 初めて院に抱かれた作者が、院にお持ち帰りされてしまうシーン。そこで作者は自分のことを『伊勢物語』や『源氏物語』に登場する、男性に持ち帰りされてしまう女性キャラに重ねて、この歌を心の中で静かに詠みました。 夜が明け、院に純潔を奪われたけれどもなぜか愛おしい。しかも自分には実兼という恋人がいる… 作者は自分の

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          『問はず語り』を和歌から読み解く3

          和歌7  作者 院におしたおされて心よりほかに解けぬる下紐のいかなるふしに憂き名流さん 訳 心ならずも下紐が解けて院と結ばれてしまった。どんなきっかけで浮いた噂が広まるのだろう。   ついに作者は院と結ばれてしまいました。この時の院は「うたて情けなく」(ひどく、思いやりもなく乱暴に)作者を押し倒し、……ました。 一夜明け、浮いた噂が広まるのだろうか、そうしたら実兼のことを傷つけてしまうと、きれいな有明の月を眺めながらこの歌を詠みました。 大変なことがあったのに、どこか冷

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          【書評】岡本隆司『教養としての中国史の読み方』 物知り博士と専門家

          岡本隆司『教養としての中国史の読み方』PHPエディターズ・グループ 2020年10月1日中国古典を読むのに中国史は知っておきたいと思い、買ってみました。 読みやすい文体(ですます調)で、また思想の話もされており、そんなに詳しくない私にとってとても役に立つ本でした。 本文の内容はさることながら、私の心に響いたのは「おわりに」に書かれていた次の言葉です。 「おわりに」より 教養と専門について「教養のない専門ではタダのオタク、専門のない教養ではタダの物知り。」 (353頁)

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          『問はず語り』を和歌から読み解く2

          和歌4 後深草院→作者あまた年さすがに馴れし小夜衣重ねぬ袖に残る移り香 訳 長年連れ添ってきた仲なので、ともに寝ることができなくても自然と私の袖にあなたの香りが移ってきたよ 実は、作者は4歳の時から院のもとで育てられていました。院は、作者が幼い頃から接しており、「あまた年さすがに馴れし」(長年連れ添ってきた仲)と自負していたのでしょう。作者と実兼との関係を知らず…。 この歌を贈る前日、院は作者に一緒に寝る(性行為…)よう誘いましたが、作者は頑なに拒否しました。院にとって

          『問はず語り』を和歌から読み解く2