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―神道は「いのちの信仰」である― 住吉大社元宮司 真弓常忠氏
さて新シリーズとして、神道を篤く信仰する「神道者」を取り上げていきます。「神道者」とは、神道を生活の基盤として篤く信仰する人物のことです。また、神職のことも指します。
初回は、大阪・住吉大社の元宮司の真弓常忠(まゆみ つねただ)氏をご紹介します。〈以下敬称略〉
私は学生時代に実習先の住吉大社で一度だけお会いしたことがあります。確か、カレーがお好きだったはず…
真弓は神道を「いのちの信仰」と表現しています。日本人は自然を神として崇め祭ってきましたが、それは「自然が生命をはぐくむおや」と感じとったからだと指摘します。我々人間は、水、火、草、木、石、風、太陽、月などありとあらゆる自然から生命―恵みをいただいて生きています。その神秘的なはたらきを「崇めて畏こみ慎し」み、生命とそのはたらきに神が宿るとする「太古以来の信仰を素朴にうけついで、神祭りの生活の中に、道義を打ち樹てようとする精神のいとなみ」が神道なのだといいます。
そして、そうした神秘的なはたらきには精霊と神の区別があります。神信仰は「精霊崇拝より発達して、自然や人間に神格の顕現を見出し、それを“カミ”と名付け」て崇め祭ることです。その神格を持った神々のはたらきを語り継いだものが「神話」だと
いいます。そうした神話はただのお話しではありません。たとえば、真弓はスサノオをとりあげて次のように述べています。少々長いですが、真弓の神観念を知るうえで大切な文章ですので引用します。
「神話に描かれているスサノオノミコトは、もっとも典型的な日本の神の一である。荒ぶる神として終るのではなく、力強い親しみのある、親父のような存在であった。日本の神が全智全能でないことはここにもっとも露わである。慨き悲しみ、あるいは勝利に驕り、罪も犯した。悲境に自ら雄々しく立ち向い、遂にこれを克服して、善悪を超えた彼岸に到達した英雄である。このようなミコトを追慕する日本の信仰は、永い歴史を通じて伝承されてきた。 p38」
「スサノオノミコトの八俣の大蛇退治の神話は、自分たちの祖先があらゆる障害に打ち勝って開拓に従事した光栄ある想い出を再現して演じた神楽の筋書きである。 p26」
完璧ではない、人間らしいありのままの姿で活動する神。そうした人間らしい神こそ古代日本人が求めた神だと思います。
以上、真弓常忠の神道への想いをご紹介しました。まずはいま生きていることを神様に感謝したいですね。
そして、そのような神への信仰心を受け継ぎ皆さまに(日本人に限らず)お伝えしていくことが神職である私の使命であると思いを強くしました。
参考、引用文献
真弓常忠『神道の世界―神社と祭り』朱鷺書房 https://amzn.asia/d/i7ukdAB