生きるとは、自分の物語をつくること
河合隼雄倶楽部共同マガジン
いきなりのコンステレーション
2024年10月15日に、共同マガジン「河合隼雄『で』語り合おう」は立ち上がりました。
わざわざ、日にちを記しておくのは意味があります。
実は、わたしの「河合隼雄先生のこと」という記事を投稿したのが、去年の10月15日だったのです。
8月の終わりぐらいから、枝瀬先生とこういうマガジンがつくりたいね・・というご相談をしていたとき、当初は10月1日公開を目標にしておりました。
でも枝瀬先生のご多忙と、わたしのものわかりの悪さから、ちょっと厳しいかもしれない・・という雲行きになり、枝瀬先生がじゃあ10月15日にしましょう・・と仰った。
その記事を読み直したり、コメントを抽出しているときに、私は去年の10月15日にその記事を投稿していることに気づき、さすが枝瀬先生、それに合わせてくださったんだ!と嬉しく思っていました。
当日、SNSからのお知らせで、その日が枝瀬先生のお誕生日であることがわかりました。
で、なんだ、これこれしかじかだと思ってたんですよ~とお伝えすると、全く気付いていらっしゃらなかったとのこと(笑)
しょっぱなから、これも意味ある偶然と位置づけて、河合隼雄倶楽部は創始されたのでした。
あやのんかんのんさま
その前の事前告知の段階で、あやのんさんからご賛同を得ていました。
もともと、河合先生の記事をめぐって、あやのんさんとのやりとりの中で愛好会の着想は得ていて、あやのんさんがいなかったら、このマガジンは始まっていませんから、あやのんさんは、生みの母です。
生みの母の渾身の記事…
いやもう、本当に正直にそう思いました。
あやのんさんが、河合先生の講演会に言って、握手してもらっただけで泣けてきた・・という物語の導火線だけをわたしは知っていました。
全集を揃え、こんなに深くあやのんさんの教師時代を支えるよすがとされていたことを、私ははじめて知って、ああ、この物語がわたしを癒してくれる・・と本当に思いました。
今どんなに楽しそうに楽々と生きているように見える人でも、やはり若い時には失敗もし、絶望もし、途方に暮れる時があったんだと思いました。
そして、あやのんさんの若いときの失敗を、優しく温かく抱きしめたくなるように、自分自身の若いときの失敗、無知、勘違いも同じように抱きしめられることを知るのです。
共鳴する、共振する心地良さ…
そしてまたこのコメント欄は現段階で65コメントという凄さです!
もともと、noteでの交遊もお広く、魂が共鳴するお仲間がたくさんいらっしゃることは存じ上げておりましたが、皆さん本当に素敵な方が素敵なコメントを寄せていらして、もうそれを読み返し読み返ししていることが、わたしには既にセラピーでした。
そう、書いているうちに初めてわかること、いっぱいありますよね。
顕在意識の中での記憶と潜在意識の中の記憶がまったく異なることがよくあります。
そして年齢を重ねてはじめて、そのときの情景の意味がわかること。
それは衝撃なんだけど、懐かしく優しく自分に還ってくる記憶なんだよなぁ・・と、あやのんさんの描写を読み返しながら思いました。
嬉しいことに、あやのんさんのなかよしのnoterさんの中に、河合隼雄シンパの方も何人もいらして、何人かの方は早速投稿してくださいました。
本当に有難うございます。
次回以降に触れたいと思います。
たこせん枝瀬先生の臨床
枝瀬先生は、この3月まで高校教師として現場で活躍されていた方です。
今までのご投稿を読み返しても、現場感、臨場感がもの凄いです。
血がしたたるようなシズル感です。
ある意味では、「河合隼雄『で』語り合おう」~なんて、のんきな平和なことを言ってられないような斬った張ったの世界で、身体を張って、教師をされてきたんだと思います。
それぞれの新しい物語がはじまっていく予感なのかもしれない
こんな風に感じられるところが、河合先生シンクロポイントです。
あやのんさんもそうですが、枝瀬先生も永年河合先生の著書に触れていらっしゃる間に、河合先生の言葉が血肉になっています。
河合先生の帽子をかぶって現場に立っている感じ。
切羽詰まっているがゆえに、ギリギリの手が切れそうなくらいの臨床感。
そんな中で、切実に河合先生の言葉を必要とし、ある時は、生徒さんと共有しながら、ある時は孤独のなか、誰にもわかってもらえないと思いながら縋り付くようにしてお読みになってこられたのかもしれないな・・と思わされました。
そうなんですよね。
河合先生の言葉は生きているんです。
体温があるんです。
自分の存在を投げ入れた、鼓動していて、血が出るような活きた言葉なんです。
イエスキリストもお釈迦様も、伝わっている言葉は本人の言葉ではなく、弟子たちが、自分はこう聞いた・・という言葉を何百年も繰り返し、語り直し、解釈し直し、伝わってきた言葉です。
そして何百年経っていようと、そのことばは現代の私たちの胸を揺さぶります。
河合先生には、本人の膨大な著作集があり、動画もあり、講演録があり、その力は間違いなく最大にパワフルです。
でもそれを読んだ、聴いた私たちの体験、そしてそれを現場の中で生かしてきた体験もまた、何百年後の誰かのこころに灯をともすような、そんな働きをしないとも限りません。
私はただただ、これからなお書き綴られていくであろう河合隼雄体験を、ドキドキしながら待っています。
かぼちゃさんの記事
そしていったいおまえは何をしていたのだ?と問われれば、準備期間中に用意していた記事をかなぐり捨てて、ひたすらこの本を読み直していました
私が、マガジンを始めたいと思った動機のひとつが、町の書店から河合先生の著作が消えているように思ったことに危機感を覚えたことでした。
ネットで見たら、何百冊と候補がでてきて安心するのですが、実際に目にすることが少なくなっていて、毎日のようにどこかで目にしていた新聞や雑誌の連載もないわけですから、それをずっと寂しく思っていました。
でも、去年そう思って気をつけて見るようになると、再編されて新刊されているものも、たくさんあることに気づきました。
そして、生前に先生とご縁のあった方が、あとがきを書いていらしたり、他で書かれていた追悼文が掲載されていたり・・という新しい読み方ができる楽しみができました。
特に作家の小川洋子さんは、この対談が河合先生最後の対談となったこともあり、まだまだ続く予定の対談であったこともあり、河合先生について書かれた文章をよくお見かけする作家さんです。
でも正直に申し上げると忘れていました。もっと取り上げたい本がいっぱいありました。それを思い出させてくださったのが、かぼちゃさんの記事でした。
かぼちゃさんもやはり教員だった方で、優しい日常の中のことと共に、ハッとするような独自の視点をお持ちな記事に心惹かれて拝読していた方です。
この記事に描かれるかぼちゃさんのお姿もまたありありと胸に迫り、もっとお聴きしたい気持ちでいっぱいになり、私はやはり『だれかの物語』に心を激しく揺さぶられるのだと知りました。
この記事によって、私はそういえば・・と本棚から本を取り出し、読み始めると小川洋子さんが語られる河合先生のことがもっと知りたくなり、最近再刊された著作に小川洋子さんの解説があることを知るとそれを買い・・ということで、雪だるまになっておりました。
もちろん、新潮文庫版も持っているのですが、それを読んでいたのは20代。
50代の今とは目に留まるメッセージが全く違いました。
またそれについては、次回以降に書きたいですが、とにかく、河合先生の本をこの3か月どんどん読み直していこうと思います。
そして新しく再刊されたものも、どんどんご紹介していきたいと思っています。
コメントをお寄せいただく中で、図書館で河合先生の本を予約しました・・というお声もたくさんいただいて、本当に嬉しく思います。
わざわざ予約してくださることで、図書館の司書さんが「お!河合隼雄の波が来てる!」と目立つコーナーに特集してくれるかもしれない。
新しく購入リストに入れてくれるかもしれない。
河合先生と新しく出会う方や、改めて出会う方、出会い直しをする方がどんどん増えていったらいいなぁ・・というところで、今回はおしまい。
最後まで読んでくださって有難うございます。読んでくださる方がいらっしゃる方がいることが大変励みになります。また時々読みに来ていただけて、なにかのお役に立てることを見つけて頂けたら、これ以上の喜びはありません。