【百年ニュース】1920(大正9)12月21日(火) 宣統帝溥儀と大総統徐世昌四女との婚約が破棄されたとの報道。1912年に退位した宣統帝愛新覚羅溥儀(14)は清室優待条件により紫禁城に引き続き居住。中華民国大総統徐世昌の四女と年明けに成功するとの風説があったが流れたとの報道。
1920年の後半になると、皇帝はまだ16歳になってはいなかったが、これまで彼の日常を規定してきた慣習と形式的手続きのいくつかを、廃止することに成功した。彼は、自分で学習と遊ぶ時間をきめた。
また、これまでどこに行くにも乗るしきたりでであった大きな黄色い椅子轎(セダンチェア)を命ずるかわりに宮殿の中庭や、それぞれの宮殿を区切る長くせまい道路を、歩いたり走ったりするようになった。
それだけではない。
彼は廷臣たちの目から見れば絶対至上のものである皇帝の在り方、すなわち朝廷の諸儀式、謁見の作法、格式ばった年中行事にかんする知識などに、興味をしめそうとしないばかりか、軽蔑したり揶揄したりして、役人たちにショックをあたえた。
皇帝は、現在彼が置かれている地位が、何の実権もともなわない名目だけのものであることをよくわきまえていたので、廷臣たちのようにそれらの儀式を重んじることを拒み、彼らの立場を失わせてしまったのである。
彼は、廷臣たちの露骨な追従にうんざりしており、この人々の言葉が信用できないことを承知してもいた。
この若い満州人皇帝がいだいた紫禁城の城壁の彼方の世界をみたい、という想いに比べれば、アビシニアの幸福の谷から脱出したいと熱望し続けたラセラスでさえ、その比ではなかった。
庭の築山のいただきから、あるいは神武門の楼閣から、ちらと外の世界をかいまみただけで、彼の胸はときめくのである。
レジナルド・ジョンストン(溥儀の英語教師)著、入江曜子・春名徹訳『紫禁城の黄昏』岩波文庫,1989
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