自分に目覚めるって、なんですか?
即身成仏です。
本当の真理とはこの肉体を持ったままこの世界を創造した存在(創造主)としての自覚をもって、この世界で生きるということです。
これを密教では即身成仏といいます。
これまでに唯一即身成仏を成し遂げたとされるのは、偉大なお釈迦様だけとされております。
お釈迦様は2500年も前にそのことに気づき、そのお考えを後世へと残してくださいました。そして今度は私たちが全員の意識をそのレヴェルにまで押し上げて全員で即身成仏を成そうとしているのです。
昨今ではこれをアセンションと呼んだりしています。
自分がそう成れるだろうかと思い悩む必要などはありません。
何故ならもうすでに自身はそうなっているのであって、そのことに気づくだけでよいからです。
悟りとはただの気づきの境地のことであり、自分がすでに御仏であったのだと気づくということです。
私たちの誰もが、かつてこの世界を創造したのみでは飽き足らず、現在進行でイマココの現実を作り出し続けているのです。
宗教とは何だったのか
私たちは古今、精神世界をコトバにして伝えたことから、やがて仏教などのさまざまな教義となりました。なので、いくら仏教を信仰し学び続けても、わからないということがわかるだけなのです。
念仏を唱え続けて真理へと至る。
念仏を唱えているだけでは何も起こりえない、修行僧は何も変わらないことに気づくために長い長い禅の修行をしている。
そうして僧侶たちは己の精進のみならず禅をはじめとするこの形式を意図的に未来へと引き継ぐ役割も担っている。
それほどまでに己の自我は自分にとって確たるものとなっているから。
世俗から乖離し己の心と徹底的に向き合うことによって自分の心のわずかな変化(精神の変化)をとらえ認識する。
これこそが御仏の心を悟ということである。
心の世界は目に見えないのでたとえ話(比喩)になる。
経や念仏は古来より伝わる方便でありたとえ話。
実際に実践行動した後に真理へと至る道を指し示しているのである。
現代においては真理の探究に古来のような修業は必要としなくなっている。
経験から世の中の仕組みを把握する一方で、経験が邪魔をして固定概念が形成されている。
現代の言葉から来る先入観に惑わされる人々。集合意識などをはじめとするスピリチュアル用語はまさしく方便のようなものと言える。
いつしかこの世のあらゆる宗教は、人間の心の癒しや救済といったことにまで及ぶこととなった。
人の世とは虚無の世界
人間の一生とは体験するために行動し、そのたびに思考し結果に執着する。
この世のすべてはただそれだけであり、正解はない。
人それぞれ違う愚かさの中を生きる定め。
目覚めるも目覚めぬのも、自分本来。
どちらが良し悪しも存在しない。
自分らしさこそが非常。
一切皆苦の響く所、それが人の世の習い。
皆無よりすべてが出ものなり。
唯一であり、全であるということ。
であればこそ自由、好きなことをすればよろしい。
誰も眠ってなんていない、すでに目覚めて己を生きているのだから。
つまりは自らを振り返って見直し、今こそ学びなおしの時。