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今日も密かに陰徳を積み立てる

徳を積みなさいと言われると、多くの人が目に見える形で善行をしようと思います。せっかくの善い行い、より多くの人々に知られることも大切だと言わんばかりの風潮が世にあふれているためでしょう。

しかしその一方で、陰徳と呼ばれ人知れず行う善行によって積まれる徳もあることを知れば、世の著名人たちが自らの功徳を広く喧伝することに、自分がなぜか心苦しいような気持になる理由がわかろうというものです。

いずれにせよ徳に変わりはないのですから、陽徳でも陰徳でも構いません、しかし陽徳の場合、どうしても見返りが発生しがちで、そうなれば積まれた徳の分だけ素早く等価交換が行われ、それでお終いとなります。

ともすれば陽徳のほうがすぐ目に見える豊かさが得られるため、なんだか良いことのように思われがちですが果たしてそうでしょうか?

確かにいかにも効率的で言ったもの勝ち、やったもの得のようにも思えますが、徳を積むというように徳とは元来、貯めることができるもの。

その点、陽徳の場合はすぐに消費されてしまうため、目に見える形での見返り程度しか期待できません。

しかし、陰徳は違います。

陰徳は今現在、どの位貯まっているかもわからず、いつ交換が行われるかも不確定です。

ただし必ず陰徳が交換される日はやってきます。

それだけに、陰徳が消費される際に起こる出来事は凄まじい。

陽徳とは違い、お金や名声などといったちっぽけな物とは比較にならない見返りがやってくる。

それこそがご縁です。

信じられないようなタイミングで、おおよそ想像をだにしない出来事に直面するでしょう。

今これを読んでいる方の中にも、確かにあれはそうだったと思い返している人がいるのではないでしょうか。

誰もが一度は奇跡としか思えないような場面に出くわしたことがあるはず。

人との出会い、驚くような体験、そうした生涯に何度もないような経験。

その瞬間には、誰もがあまりのことにかえって思考停止状態となり、事の重大さや重要性に気づけない。しかし後から気づく、それが陰徳の力。

常日頃から自分の功績を誇るのも結構ですが、誰にも知られることもなく、陰ながら人々の役に立っている人が沢山いることを今一度肝に銘じたいものです。

最後に、陰徳を貯める簡単な方法です。

とにかく陰徳が素晴らしいのは、誰もが手軽にできるということ。

つまり、家の掃除、お墓参り、お宮参り、観葉植物の世話、noteを人知れず更新する・・・のように、必ずしも直接誰かの役に立つようなことでなくてもいいという点。

自分ができる身近なことこそが、徳を積むコツなのです。

わざわざ投資などを行うより余程簡単で気楽で自分にとって有用です。

ぜひ小さなことからコツコツ取り組み、やがてやってくるであろう、ご縁を楽しみに、日々を心地よく過ごしたいものです。

いつも本当にありがとう。 これからも書くね。