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全人類、自分を決めつけすぎ
私は○○の名に恥じぬ生き方をせねばならぬ!
私の音楽性はこうあるべき!
私の絵はこうでなければ!
あの会社に就職しなければ
あの学校に入学しなければ
・・・その根拠は一体どこからやってきたのでしょう?
もしそれらの感覚が、自分の内からやってきたものでないなら、もうそれは手放しませんか?
だってあなたはこれまで、ずっとあなただったじゃないですか?
だからもう他の誰かの生き方を真似するようなことはしなくていいんです。
手持ちのスマホの検索履歴をご覧ください。
「成功するためには」「長生きの秘訣」「楽な仕事」「成功者の名前、経歴」
「流行やトレンド」「お金にまつわる話」「コンプレックスワード」
こうした自分とは本来無関係の履歴で満ち溢れていませんでしょうか?
なぜ履歴に、「本当の自分とは」がないのでしょうか?
自分のためにならないスマホなのであれば、いっそのこと窓から放り投げるのもいいかもしれません。
なぜならスマホ自体20年前には存在すらしていなかったのですから。
それ以前の人々は自らの体験からのみ学びを得ていました。
ネット自体が存在していなかったためそうせざるをえなかったのです。
自分を決めつけるための指標となっているのであればスマホというツールや、情報自体への自らの向き合い方を今一度考えてほしいとそう願います。
あなたは本当の自分になりたいと日々思っているのではないですか?
あなたなしではこの世界は空回り
あなたがあなた本来の生き方とあり方を世界に示さないと、そのあなたを待つ列に並んでいる人たちは、ずっとその場所であなたを待ち続けることになります。
本当はそのことに気付いているあなた、だからこそ心の奥から様々な思いや焦りが出てきて余計にソワソワして、その行き着く先が、他の誰かの模倣をするということに繋がっているのではないですか?
自分自身と無関係な情報をどんどん収集しようとするのは、自分を上手に表現できていないことへのジレンマからくるものではないですか?
焦れば焦るほどに、ありもしない自分以外の期待に応えようと力み、思考停止し、パニクッテ右往左往を繰り返しているのではないですか?
○○しなければ!もっと頑張らなければ!?
何もあわてる必要はないのです、リラックスです。
やっぱり答えは心地よさの中にあるのです。
そういう意味では何もしなくていいのですよ。
私たち本来の生き方とはもともとはそういうことです。
ごく自然に何かやりたくなるまでは基本的には何もしなくてよいのです。
ですからどうか他の誰かの生き方や在り方を模倣するのではなく、自分だけの生き方や在り方にたどり着いてください。
そもそも私たちがなぜこうも人の真似事を好み、それらを自分の生き方にまで取り込んでしまうのでしょうか。
私たちは生きる上でごく自然に好ましいと思う相手に本能的に惹かれ、その真似をします、これはある意味自然なことです。
何故なら人間は、その相手に限りなく近づいた場合、その相手の周波数帯に同調することができるからです。
だから何かをはじめようとするとき、先駆者の模倣からはじめるのは実に効率の良い行為です。ただし模倣行為においては、必ずしも良い結果ばかりが得られるわけではありません。
何故なら本来の自分とは違う方向へと一旦とはいえ心のハンドルを切ることになり、その結果必然的にリスクを生じさせます。
つまりはその相手のようにあり続けなければならないという強迫観念のようなものがやがて自分の中からやってくるからです。
日本古来より伝わる、茶道や武道のようなものであれば、きちんとした師匠の下で長年かけて細やかな指導を受けることができます。ただそのような場合は稀であり、多くの場合は自身で本から得た知識やネットの情報などがその元となるため、ほとんどの場合ただの空回りに終わるのです。
自らの決めつけによって、何が間違っているのかもわからないままにどんどんわけのわからない方向へ進んでしまうことに陥ってしまうのです。
そうなるくらいならもういっそ何もしない選択のほうが良いとなるのです。
あなたが何かしたくなるまでは世界のほうを待たせておけばよいのです。
波動と周波数で遊ぶ私たち
情報化社会の現代において、これだけ答えが世界中にすでに溢れているのに、何故こんなにも沢山の人々が日々思い悩むのか。
それは、私たちがあるがままの自分を生きている人たちの波動状態(周波数帯)とは違う波動状態でその人たちや情報を見ているからです。
誰もが理屈としては理解できているのです、目の前に見えているのですからこれは当然ですよね?
でも完全に理解して確信できないのは、自分がその人たちと別の周波数帯にいるからなんです。
人間の仕組みとして、同じ波動状態にないことは実感できないのです、だからこそ体験が大切なのです。
ですから先ほども述べた通り、人は人の真似事をしたり、右へならえで生きようとするのです。
そしてまたここで矛盾にぶつかります、何故ならその模倣行為は何の成果も得られないからです。
それは当然です、他の誰かの周波数を自分に無理やり当てはめてもそれは無意味だからです。
それは人のモノなのです、その行為は人のモノを盗む行為に等しいのです。
つまり、人は誰一人として同じ周波数帯の人はいないということなのです。
そのことを確認するために、一旦、人の物真似をしているのです。
でも多くの人がこのことに気づけずに、何故なんだと嘆き悲しんでいるのです。成功例と同様の行動によって同じ結果が得られないことに憤るのです。
そしてその理由は自分の何かが足りないと勘違いして、あたかも自分が劣等生のように感じ、世の中に拗ねたりしているのです。
でもそうではないのです、私たちの人生は、私たちの周波数を探す旅です。
そしてなるべく早い段階で自分の周波数(使命)に気づいて、ありのままの自分を生きること、これこそが私たち本来の生きる意味なのです。
こんなことは2500年前からの常識です、仏教ではこのことを即身成仏といいます。
即身成仏とは、本来の自分に気づき、ありのままに生きるということです。
・・・ではなぜ??
私たちは、忘れるそして、思い出すという遊びをしていただけなのです。
何故ならそれが面白いからです、人生のすべてを賭ける価値のあるものだからです。
だからもう自分を決めつける必要はないのですよ。
今日という日から、ただ単純に自分を生きればいいのです。
***
それでは今日も心地よい一日の始まりです。
いってらっしゃい。
タイトルイラスト
モノ カキコさんよりお借りしています。
ありがとうございます。
著者プロフィール
私、ナスノの簡単な自己紹介となります。
惹かれたら是非ご覧ください。
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