生徒と「学びを作り出す」授業〜海外日本語教室での実践〜【Aflevering.229】
私が運営するオランダの日本語教室Edubleでは、現在4歳から16歳の子たち22人が通ってくれています。学習の内容もさまざまで、海外生活において必要な日本語力を付けるための授業や、日本への帰国に備えて学力や入試などの準備を行う授業をしています。また、オンラインでオーストラリアやイギリス、日本在住の方の学習サポートもしております。
この記事では、最近子どもたちの教室でのレッスンで行った授業の紹介と、その時に考えた「海外での日本語教室の授業で大切にしていること」についてまとめたいと思います。
私の教育観に大きく影響しているもの
「教育」という言葉は捉える範囲がとても広く、学校教育なのか家庭教育なのか、はたまた公教育なのか私教育なのかなど、いろんな捉え方があります。私はかつて日本の公立高校で社会科の教諭を8年間していましたが、現在はオランダで日本語教室を開き、子どもを対象とする日本語を教える講師として子どもたちに関わる仕事をしています。
日本の公立高校の現場から、オランダの小さな日本語教室に変わり、対象となる子どもたちの年齢層や科目、そしてそれらに合わせた授業スタイルなどの変化はありましたが、場所は変わっても変わることのない私の根本にある「信念」のようなものがあります。まずはそれについてお話しさせていただきます。
「教育とは、学校で学んだことをすべて忘れた後に残るものである」
大学生の時に、アインシュタインの教育観だったとされるこの言葉を知ったのですが、初めはその意味が分かりませんでした。
工業高校に勤めていた頃、生徒たちは卒業後すぐに社会に出ていきます。そのため、教科書の知識だけをテストで測るのではあまり意味がなく、なるべく教科書で学んだことが実社会とどのようなつながりがあるのかを考えてもらいたいという思いがありました。
そして、その後普通科高校に転勤した時は、その学校では大学進学を希望する生徒がほとんどなので、大学受験に向けた授業をしなくてはいけません。しかし、子どもたちに必要なのは、受験テクニックや知識のインプットではなく、根本的な「学ぶことの楽しさ」を伝えることだと思いました。もちろん進路実現に向けた現実的な準備も必要ですが、受験勉強に入る前にしっかりとした学習に対する基本姿勢みたいなものが必要だということに気づいたのです。
実際に受験的な話をしても、生徒たちはとても退屈そうな顔をしています。しかし、今の社会でどんなことが起こっているのか、これからの社会はどうなっていくと考えられているのかなどの話はとても興味深く聞いていたのが印象的です。
そのため、私の授業では「人工知能の発達」や「21世紀型能力」など書籍や新聞記事などの話を紹介して、その力をつけるためのディスカッションや論述、探究学習などを大切にしたいと伝え、生徒たちと一緒に実践してきました。その時の充実感と生徒たちからのフィードバックは今の私の教育観に大きく影響しています。
つまり、教科書に書いてある知識などを仮に忘れてしまったとしても、調べるという行為について学んだことや、学びの中で他の子と協同したこと、相手に伝わる話し方を考えること、などの学習の過程で得たものは高校を卒業した後も生徒たちを支えくれるということが分かりました。その時にやっと、アインシュタインの言葉が自分の中に浸透したように感じたのです。それは、公立高校から日本語教室に場所が変わっても自分のスタイルが変わることはありません。
日本語教室の授業では、日本語の力を伸ばすためのサポートはもちろん必要ですが、それだけでなく子どもたちと一緒に何かについて考え、考えることの楽しさを知ったり、遊びの中で自信のない日本語が話せるようになったりという、学びに付随する興味や関心、態度なども一緒に育てていく必要があると思っています。「学ぶことが楽しい」と感じることができたら、子どもたちは自然と自ら学んでいくと信じています。私はその部分を大切に授業をしています。
「誰もが才能を持っている。しかし、もし魚を木登りの能力で判断したら、魚は、自分のことをバカだと思い込んで一生を過ごすことになるだろう」
こちらは英語の教材でアインシュタインが述べたとされる教育の風刺画です。
子どもたちの学習到達度を測る基準はある程度必要かと思いますが、その評価自体が子どもたちの総合的な能力を決めるわけではありません。私たちは、「子どもたちのテストの結果や成績だけで見てはいけない」と常に心に言い聞かせる必要があると思っています。
現在子どもたちに日本語を教えていると、この考えが非常に重要だということに気が付きます。日本語の能力だけで見ると、年齢以上に身についている子もいれば、年齢に満たない子もいます。
しかし、日本語という観点においても読み書き、聞く話す、漢字の習得や語彙など多岐にわたります。だから大人が作った基準でテストをして能力を測るのではなく、子どもたちの4技能のバランスと、その子たちがこれから生きていく上で日本語がどの程度必要になるのかも考えて、保護者や子どもたちと話し合いながら学習内容を考えるようにしています。
また、学習態度についても子どもによって全く異なります。日本語の力はあるけれど、学習自体は全く好きではなく全て受け身で処理してしまう子、日本語はとても苦手だけれど、お友達とお話ししたり一緒に作業するのが好きな子や、歴史や理科に興味がある子など、いろんな子がいます。そういったそれぞれの個性を持った子どもたちが一緒に学ぶことで起こる化学変化のようなものもあります。
以前、他の記事で書きましたが、音読が得意だけれど漢字が全く覚えられない子と、漢字は大好きだけれど音読が苦手な子が一緒に学ぶと、お互いに苦手なところをサポートし合うようになりました。もちろん、この関係は自然に発生したことではなく、こちらからもその関係を築くためにいろんな声かけをしてきました。
「自分が他の子よりできることがあるなら、それを自慢して見せびらかすのではなく、その力で人を助けてあげてほしい」という言葉をずっと言っているといつしか子どもたちもそれと同じような行動をしてくれたのです。
「みんなそれぞれ得意なことも苦手なこともバラバラで、大切なのはその違いをお互いにどう支え合っていくか」というのは子どもたちにとって大切な考え方だと思います。
生徒の発想も活かす授業
ここからは先週行った授業の報告です。「最近風が強いね」という話題から、目に見えない風をどう考えるかについてのミニ実験をすることにしました。
サーキュレーターを使って風船を浮かしたり、ドライヤーを使ってピンポンだまを浮かしたりするのを見せた後に、子どもたちが浮かせてみたいものを考えてもらい、それがどうなるかを考えてもらって実践してもらいました。
ふと、一人の子が「これでマジックショーができるね」とクラスの子が言いました。それに対して私は、「じゃあ実際にやってみて、パパとママに見てもらおうか!」という流れで、実際にカメラの配置やどんな内容を見てもらうのかを考えてもらい、一緒にマジックショーをやってみることにしました。
この子は、日本にルーツがある子ですが、日本で生活する予定はありません。そのため、日本語の勉強と言っても教科書やドリルの学びだけでは日本語に対するモチベーションを維持するのは難しいのです。とは言っても、私の授業でも教科書を使ったり漢字の練習もします。
それだけでは不十分という意味で、その基礎学習に加えて何かワクワクさせるものや興味を刺激するものが必要だと思い授業に取り組んでいます。
日本で生活する予定はないけれど、何かしらの日本語のルーツを持っている(いわゆる継承語として学ぶ)子どもたちのクラスでは特に、読み書き以外にも興味を発見できる内容も取り入れています。
Edubleの授業では、子どもたちも授業作りに参加します。学んだ内容に関して「〜をやってみたい!」という意見があれば、極力その活動をするようにしています。その活動に学びをくっつけていくのです。
先ほどご紹介した言葉にもあるように、子どもたちは何かしらの才能を持っています。日本語というのも一つの評価であって、それ以外の部分で何かしらの力を持っています。そのため、日本語がうまく話せなくても、上手に読んだり書けなくても、そんなことは問題ないと思ってサポートしています。まずは、日本語を使うことに親しみ、日本語を使って他の人と何かをすることが楽しいと感じてもらいたいのです。
教える対象が高校生から小学生などにも広がった私は、いろんな年齢の子たちと学習について話しあっているのですが、まだ小学生の子どもたちにとって、「学ぶ意義」とか「なぜ学ぶのか」を深く理解するのは難しいと思います。それが考えられるようになるまでは、日本語に対するイメージはポジティブなものとして持っていてもらいたいという思いで授業をしています。
最後に
言葉で説明するのが難しいのですが、なるべく子どもの全体像を捉えるようにして、その授業でどんな風に「人間的な成長」をしてほしいのか、まだ知らない「世界の広さや事実」を知ってどんなことを感じてほしいのかなどを考えます。
つまり、漢字何文字覚えるとか、テストで何点という目標にするのではなく、「学習との向き合い方」や「学びの姿勢、態度」などを育むサポートを心がけています。そうすることで学習の成果やテストの結果などは後から付いてくるものです。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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