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科学コミュニケーションとは何か Part2
昨日のnote記事に続いて今回のnote記事でも、科学コミュニケーションについて考える。
改めて、科学コミュニケーションについて考えるため、ストックルマイヤー博士らの著書を開いた。この本の出版が日本における科学コミュニケーションの広がりの契機だったとも言われている。
彼女たちは「科学コミュニケーション」を以下のように表現している。
科学というものの文化や知識が、より大きいコミュニティの文化の中に吸収されていく過程
この定義を起点とすると、まず浮かぶ疑問は、なぜ「科学というものの文化や知識」を「より大きいコミュニティの文化の中に吸収」させていく必要があるのか、というものだ。
その答えは、科学やその産物が社会にあまりにも浸透してきているから、というものだろう。2011年の福島原発事故の際にも、放射能や放射線、セシウム137やストロンチウム90などの原子核・放射線物理の用語がメディアで多用された。最近でも、ウイルスやRNA、機械学習やAI(人工知能)といった言葉がメディアに溢れている。研究不正のニュースも度々耳にする。
いつのまにやら、科学は自分の遠くに置いておけば良いものではなくなっているのだ。
科学は、エネルギー問題、環境問題、医療問題などを通して、生活に密接に関わる場合もある。はたまた、莫大な税金や巨大な装置、そして、数百や千人規模の研究者が関わる科学研究(ビッグサイエンスと呼ばれます)をどこまで社会として許容すべきか、という議論で経済問題になることもある。
これらは科学に関する問題ではあるが、科学だけでは答えられない問題(トランスサイエンスなどと呼ばれる)に分類される。だからこそ、そのような問題を考えるべきは、科学者だけでなく、社会の構成員一人ひとりであるべき、という考えに至るわけだ。
だとするならば、より多くの人(公衆)がそんな問題を考えられるように、
公衆の科学理解(public understanding of science)
公衆の科学意識(public awareness of science)
公衆の科学関与(public engagement with science)
公衆の科学参加(public participation in science)
といったことを促進することが有効だと議論されている。1点目の「公衆の科学理解」についてはPISA調査でも言及されているように「科学"の"知識」だけでなく「科学"についての"知識」を学ぶことが大切だろう。
上記の四つを取り上げたことは、以下の文献を参考にしている。
僕は上記の四つを「促進すること」営みが科学コミュニケーションなのだろうと考える。では、その営みとはどのようなものなのか。僕は二つの側面から理解できると思う。一つは、
非専門家-専門家の対話の創出
である。これは、科学コミュニケーションの“素過程”とも言えるだろう。そして、その対話をより双方向的でかつ対等なやり取りにしていく試みは、科学コミュニケーションの「質の向上」に繋がる。もう一つには、
その“素過程”を誘発・促進する場/システム/人材の創出
が挙げられる。これは言わば、科学コミュニケーションの「量の増大」に当たる。サイエンスカフェの開催や科学コミュニケーター養成講座の開設がその例になる。これらの概念をまとめると下図にようになる。
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科学コミュニケーションの“素過程”を誘発・促進する場やシステムがどんどん広がっていき、かつ、それぞれの機会の中でも、たくさんの“素過程”が生まれていくことが、「科学というものの文化や知識が、より大きいコミュニティの文化の中に吸収されていく過程」に対応すると考えている。
科学コミュニケーションとは何だろうか。ことあるごとにぶつかる疑問だ。つかみどころのない概念の輪郭を探ることはとても根気のいる作業だな、と感じる。
今回ここに書いたことも、まだまだ修正・拡張すべきだと思う。
引き続き、実践や思索を続け、科学コミュニケーションに関する理解を深めていきたい。