いじめは「いじめている側の八つ当たり」である
私は今、小学校5年生の子供がいます。年に何回かある学校公開(昔でいう「授業参観」ですね)で、一番「つまんないなー」って思って見ているのは「道徳」の授業。(うちの子が通う学校では、年に1回「道徳授業の公開」をしているのです。)
何で私が「道徳の授業がつまらない」と思うかっていうと…
「いじめは良くない」「いじめをやめよう」「いじめは悪いこと」
って…
そんなのいじめている側だって(心のどこかでは)分かり切っているのに、なぜいじめはやめられないしなくならないのか
ってところに突っ込んだ授業が行われる気配はどこにもない、ですから。
というわけで、今回は、私が考察する「いじめの仕組み」について少し書いてみようと思います。
いじめを「正当化」する人たち
いじめている側は、必ずと言っていいほど「自分の行いを正当化」します。例えば
・アイツが変なことをした
・アイツがムカつくことをした
・アイツがちゃんとやらないから
・アイツが俺の(私の)手柄を取った
・アイツだけみんなと違ってずるい
ぜーんぶ、主語が「相手」になってるんですよね。
「相手が私を怒らせた」とか。お前は何様だ、と言いたいw
たとえ、相手がしている行いにも問題があったとしても
自分が勝手に怒っている(ことを選択している)だけなのです。
いじめという方法でしかそれを相手に伝えられないのだとしたら
それはあなたの力不足以外の何物でもない
のです。
2年前に、アメブロにも似たような記事を書いているので
気になる人はお目通しくださるとうれしいです♪
いじめていい「理由」など、ひとつもない
自分の不満を「いじめ」という手段を使って、正当化しつつ相手を攻撃したりディスったりしている現象だということに渦中の人は気が付かないのですよね。
仮に、相手に不満があったとしても、相手を傷つけて自分の主義主張を正当化して相手にぶつけていい理由にはならないのですよね。
これは、「ずるい」が口癖の人と同じメカニズムですね。その不満が外側に向いて誰かに向けられているのが「いじめ」なのです。
自分より「強い」と感じた人にはいじめをしない
さらに、いじめが「卑怯だな」って思う理由としては、自分より強いと感じたものには、絶対に仕掛けていかないということなのです。
それは、いじめている側の心が弱っている証拠なんですよね。これ以上自分がやられたら自分が崩壊してしまうので、自分より強い人を相手に出来ないのです。自分が攻撃してもダメージを受けないであろう人を選んでいるのです。
よって、いじめる側へのケアが必要になってきます。いじめる側も人間関係で苦しんでいるからいじめるのです。一見、すごく強がっているように見えるのは、弱みを見せたら自分もやられるのを知ってるからなんですよね。
…というところまで分かっていたら、「いじめはよくない」「いじめをやめよう」っていうメッセージがいじめる側に伝わるか?ってことなのです。
「いじめをする」人は、自分を生きていない証拠
そもそも、自分の人生が充実してて、自分と周囲の関係性が上手くいってたら
「A君がこんなことをしてた、ダメだと思います」
…なんて、(自分を生きるので精いっぱいだから)そんな細かいところを気にしている暇がないので気になりません。
「ああ、アイツ、また何か変なことやってるなー」って、鼻ホジしながらスルー出来ちゃう。
いじめをしている人は、本来ならスルー出来るような、どうでもいいことが気になってしまうってこと。
自分の人生が充実していて、自分を生きている人は他人のことに構っている余力はないのです。
【まとめ】いじめる側、いじめられる側双方にケアが必要だと考えます
いじめに関わっている人には、心のどこかで
誰からも認めてもらえない、寂しくてしょうがない…が拗れていることが想像できます。
とはいえ、今すぐに、世の中からいじめがなくなることはありません。
身近に出来ることで、傷ついた心身を癒す方法はありますか?
他人を巻き込まずに自分のストレスを発散する方法はありますか?
自分の話を聞いてくれる人は近くにいますか?いなくても、手帳やノートに思いを書いて整理することは出来ますね。
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